続日本100名城、登城45城目は、長野県佐久市の龍岡城(129番)です。

龍岡城について
歴史
奥殿藩は三河国額田郡・加茂郡(現在の愛知県岡崎市あたり)と信濃国佐久郡(現在の長野県佐久市)に領地を持っていました。領地面積は信濃国の部分の方がずっと大きかったのですが(三河に4,000石、信濃に12,000石)、藩庁は加茂郡にありました。文久の改革で江戸幕府が参勤交代制を緩和したことを好機として、文久3年(1863年)に藩主の松平乗謨は領地の大部分を占める信濃国佐久郡への藩庁移転と陣屋の新築を幕府に願い出、許可を得ました。これには幕末の混乱の兆しのある東海道から内陸に逃れるという意図もあったと考えられています。
新しい陣屋は元治1年(1864年)から工事が開始され、慶応3年(1867年)に一応の完成として藩士や領民に見学を許しています。しかし同年10月に大政奉還が行われて江戸時代が終わり、明治4年(1871年)の廃藩置県に伴い龍岡城も廃城。翌年には建物が解体されました。なお、松平乗謨は戊辰戦争を期に幕府の職を辞して姓を大給を改め、龍岡城の最初で最後の城主となりました。
構造
龍岡城の最大の特徴は、西欧風稜堡式の形状です。稜堡とは砦から角状に飛び出した部分で、大砲による攻撃の死角をなくすことを目的としています。龍岡城この稜堡を5つ持ち、上空から見ると『☆』のような形状をしています。類似の城塞建築は日本国内では函館の五稜郭が有名ですが、龍岡城は形状こそ似ているもののずっと規模が小さく、たとえば星形の隣り合った角の先端同士の距離が函館五稜郭では300m以上あるのに対して、龍岡城では150m程度とほぼ半分のサイズ(面積では1/4)となっています。星形の各凹部には門が設けられ、北東のものが大手とされました。
この五稜郭を内郭とし、その外側には家中屋敷や米蔵、藩校などのある外郭が作られました。外郭は従来通りの日本式の城で、枡形が作られていました。
見学ガイド
内郭(五稜郭)部分は2022年度末まで小学校として使われ、出入りが制限されていましたが、2025年現在は自由に五稜郭内に立ち入ることができます。ただし城内唯一の現存建築であるお台所の内部は、原則として団体(20名以上)で予約をしないと見ることができません。
龍岡城の最寄駅はJR小海線の龍岡城駅で、駅から大手門までは1.6kmあります。バスなどはなく、歩くと20~25分程度はかかります。
大手門前にはガイド施設五稜郭であいの館があります。御城印や続100名城スタンプはここにあります。
いざ登城
駅~であいの館まで
龍岡城駅

東京から上越新幹線で佐久平へ、そこからJR小海線に乗り換えて15分ほどで龍岡城駅へ。小海線は単線で、龍岡城駅は写真の通り狭いホームが1つだけの無人駅です。SUICA等は使えませんので、佐久平駅で切符を購入する必要があります。また龍岡城駅から乗車する場合はホームにある整理券発券機で整理券を発券して降車駅で精算します。

駅からは東側(佐久平方面を向いて右手)へひたすら道なりに進みます。大手門までは20分ほどかかりますが、ちゃんと舗装された道で上り下りもほとんどないので体力的にはそれほど大変ではありません。
枡形跡

駅からひたすら15分ほど歩き、周囲の景色が住宅街のようになってきたころに枡形跡があります。

石垣は低く、間口も数m程度と小ぶりなものですが、保存状態はいいですね。石垣は谷積という、幕末の積み方だそうです。

枡形の駅と反対側にはなぜか鳥居があります。
枡形跡を過ぎ、さらに2~3分ほど歩いてから右折すると、五稜郭であいの館に到着します。
五稜郭であいの館


五稜郭であいの館 は、龍岡城大手門前にあるガイダンス施設です。1枚目が建物裏側(駅の方から来るとさきにこちらの面が見える)、2枚目が建物表側(龍岡城大手門と向かい合う)です。

館内には少ないですが展示もあります。こちらは築城に使われた石工の道具。

記事冒頭にもあるこの平面図もであいの館の中にありました。回転対称な図形なので判りにくいですが、図の右手が北側、表門(大手門)は右下の凹部のようです。この図によると、城の南西部には最初から堀がなかったように見えますね。

龍岡城展望台に上る場合は、登山杖を借りることもできます(無料)。
龍岡城外周
ではいよいよ、龍岡城の見学に行きましょう。まずは星形の外周を辿っていきます。
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まずは大手門から西側へ、堀に沿って歩いてみます。堀の幅がびっくりするくらい狭いですね。石垣・土塁も低く、これで十分な防御力があるのか疑問です。
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北端の角の先端です。このあたりは道も広く、稜堡の形状が見やすいです。とはいえ石垣の低さはなんともいえません。上の土塁まで合わせてようやく僕の背くらいに見えます。
黒門


堀に沿って反時計回りに少し歩くと、黒門があります。五稜郭であいの館にあった俯瞰図によると、ここには簡素な冠木門があったようです。
この黒門の位置を境に、堀が水堀から空堀にかわります。

歩いて行くと堀が空堀に変わり、やがて堀自体がなくなってしまうのですが、これは廃城後に埋められてしまったのではなく、土地自体が南に向かって低くなっていくためのようです。この写真のあたりは大手門の位置より2mほど低く、石垣にも段差があります。
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土地が低いせいで相対的に石垣は高く、このあたりでは石垣部分だけで僕の背より高いです。
この先は舗装された道がなく、畑の中に突入してしまっている(私有地?)なので引き返すことにしました。
通用門
大手門(表門)から今度は城の東側へ。
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このあたりでは水堀が複雑に折れ曲がっています。まぁ堀の幅の狭さと石垣の低さであまり防御力向上の役に立っている気がしないのですが。

通用門です。俯瞰図によると、黒門よりは格式の高い屋根付きの門(高麗門?)があったようです。
さらに少し進むと、またしても畑に突入してしまいました。外周の見学はここまで。
城内部
それでは城の中へ入ってみます。
田口商魂神社

大手門から入ると、枡形などの構造はなく(俯瞰図にも描かれていないのでもともとないのでしょう)、すぐ一般的な城の本丸に相当する曲輪に入れてしまいます。
入ってすぐのあたりは、現在は田口商魂神社になっています。
旧田口小学校

城内の大部分は2022年度末まで田口小学校として使われていました。それから2年半ほど経っていますが、校舎はそのまま残されています。いずれ解体撤去して龍岡城をかつての姿に近づけるという計画はあるようですが、まだ手が付けられていないようです。

校庭の隅に飼育小屋のようなものを発見。小学校だった頃は、ここで鶏か兎でも飼っていたのでしょうか。
お台所

校庭の西側には、お台所があります。龍岡城内唯一の現存建築ですが、場所は本来もっと東寄りにあったのを現在の位置に移築してあるのだそうです。
残念ながら通常は内部非公開で、原則として20名以上の団体で予約しないと観られないのだそうです。GWの頃に一般公開をするようなので、余裕があったら来年また行くかな…。


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