村上城 その1

続100名城登城35城目は、新潟県村上市の村上城(131番)です。

村上城について

歴史

最初にこの地に城が築かれたのは戦国時代、越後の武将本庄氏によって、と言われています。この時代は越後本庄城と呼ばれていました。本庄氏は上杉氏の家臣でしたが、永禄11年(1568年)に本庄繁長が上杉謙信に対して反旗を翻しました。戦いは1年近くに及びましたが蘆名氏の仲介で本庄氏が降伏、しかし所領の一部と人質を差し出して謙信に臣従することで、繁長はそのままこの地にとどまりました。

本庄氏はそのまま江戸時代に入るまでここを本拠地としていましたが、慶長3年(1598年)に上杉景勝が会津に転封になると、それにともなって本庄氏も会津に移動しました。

その後、村上秀勝が城主となりました。この時代に城の名は村上城と改められ、中世の砦から近世城郭へと大幅な改修が開始されました。秀勝の没後、子の忠勝が家督を継ぎますが、元和4年(1618年)家中騒動によって改易、変わって堀直寄が村上城主となりました。直寄によって城の改修はすすめられ、この次期に三重の天守が築かれました。慶安2年(1649年)に松平直矩が城主となるとふたたび城は大改修が行われ、この時期に彫り師によって作られた門や櫓はほとんどが建て直され、天守も新たに作り直されました。ただこの天守は寛文7年(1667年)に落雷によって焼失、再建されませんでした。

その後江戸時代を通じて城主は次々に変わりました。幕末、最後の城主となったのは内藤信美ないとう のぶとみでした。明治2年(1869年)の版籍奉還によって知藩事、翌明治3年(1870年)に村上県が成立するとその知事となった信美は、幕末の内紛で損傷した城郭の取り壊しを政府に届け出、残っていた石垣などは解体されて売却、村上城はその歴史を終えました。

構造

村上城は標高135mの臥牛山山上と、西側山麓に広がる構えを持つ平山城です。山上部は、山頂に上下二段の本丸を配置し、尾根に沿って二の丸・三の丸が階段状に一列に並んでいます。山麓には、西側の登城路である七曲の入口に居館が築かれ、その周囲を水堀で囲んでいました。その外側には武家屋敷などが並び、広大な構えとなっていました。

見学ガイド

現在、山上部のみが残っており、山麓の侍屋敷などの痕跡は見られません。『七曲』は現在も登山道として整備されています。

現地へのアクセスには、JR村上駅よりまちなか循環バスが利用できます。または駅でレンタサイクル(電動アシストあり)を利用するか、徒歩でも平坦な道を30分程度で登城口(七曲上り口)です。

いざ登城

今回は村上駅からおしゃぎり会館などあちこち寄り道しながら徒歩で登城口に向かいました。

まずは村上市役所ちかくの追手門跡です。『ここにあった』というだけで遺構は残っていないようです。

おしゃぎり会館の建物裏にある駐車場には、発掘された石垣の石が展示されています(放置、の方が近い気も…)。車が駐まっていると探しにくいですが、道路から駐車場に入って左手の奥の方です。

おしゃぎり会館から城のある臥牛山に向かって歩いて行きます。臥牛山は標高135m、こうやってみると高い…

上り(一文字門~七曲道~四ツ門)

一文字門

七曲道の上り口に到着。ここから本丸までは比高124mです。かつてここには一文字門という城門がありました。山麓居館があったのは写真左手で、現在は公園になっています。

山上にはトイレも飲料自販機もありませんので、ここで最後の準備を。七曲に上らず、坂の左側奥へ進むとトイレ、写真を撮っている位置のすぐ後に飲料自販機があります。

七曲道

七曲道の中ほど。『七曲』の名の通り何度も折り返して上っていくのですが、折り返し点のいくつかにはベンチがあり、一休みできるようになっています。親切設計。

この石垣が見えれば四ツ門まではすぐです。

四ツ門

四ツ門(下の案内図の番号⑦)です。四方向につながる珍しい構造です。VR初期方向の背後は、いま上ってきた七曲道、右手は二の丸・本丸、左手は三の丸に通じています。正面は井戸跡や坂中門のある東斜面へ降りる道で『中世遺構コース』と名付けられていますが、昨年度末の大雪の影響で倒木などがあり、通行禁止になっていました。井戸跡も見たかったのですが…。

四ツ門の近くには判り易い案内図がありました。この記事でもこの地図中の番号を参照します。残念ながら赤線でなぞられている部分が全面通行止めになっているため、図の番号①~⑨の主要部分のみの見学となりました。

三の丸

四ツ門の北側、三の丸へ(案内図③)。

玉櫓跡…という立て札はありますが遺構は判別できず(案内図⑧)。

三の丸の一番奥(山上部最北端)、靱櫓跡(案内図⑨)です。現地の立て札では靱櫓=『ゆきやぐら』とふりがなが振られていますが、別資料では靱櫓=『うつぼやぐら』となっているものもあります。

二の丸

四ツ門へ戻り、南側の二の丸方面へ進みます。

御鐘門

山上部の中ほどにある御鐘門(案内図⑥)です。右手前の石垣の上には東多聞、直角に曲がった部分の御鐘門がありました。

御鐘門を二の丸側から。右の石垣の上に西多聞がありました。

二の丸

御鐘門を過ぎると二の丸(案内図②)です。二の丸は建物のない細長い曲輪です。写真は二の丸の中程から本丸方面を見ています。右手前の石垣には出櫓多聞があり(案内図⑤)、奥のさらに一段高い石垣の上が本丸です。

写真が多くなってきたので記事を分けます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました