湯築城

松山城の次は、同じ松山市内にある湯築城へ向かいます。日本100名城80番、登城90城目です。

湯築城について

歴史

湯築城は、建武2年(1335年)に伊予国守護の河野氏によって築城されました。その後250年にわたって河野氏の居城でしたが、天正13年(1585年)に小早川隆景が羽柴秀吉の命を受け四国に侵攻すると河野氏は降伏、城は隆景のものとなります。

天正15年(1587年)には福島正則が城主となりますが、後に正憲は居城をうつし、湯築城は廃城となりました。慶長7年(1602年)に松山城の築城が開始されると、湯築城の建材が松山城に流用されました。

構造

標高71mの山を中心に山麓に武家屋敷を配し、直径350mの円形の領域を土塁と二重の堀で囲んだ構造をしています。曲輪の配置は、山上の本壇を中心と考えると梯郭式の平山城となります。

いざ登城

市電に乗って道後公園で下車。電停の目の前に外堀と土塁、道後公園湯築城跡)西口があります。ここは城時代には搦手口だったようです。

外堀は、位置が合っているだけで後の時代にだいぶ整備されて姿は変わっているものと思います。

資料館

西口を入ってすぐに湯築城資料館があります。
湯築城の歴史を紹介する動画と、発掘調査による出土品が展示されています。
100名城スタンプもここ。入場無料です。

資料館内にあるジオラマは、城としての姿ではなく現在の状態でした。

大量の出土品が展示されています。

出土品の中で目を引いたのがこれ。 
なんと、ネコの足形の着いた皿です。
製作の過程で偶然足跡がついたものだと考えられていますが、城内から出土した品なので実際に使用されていたと思われます。

家臣団居住区

武家屋敷1

資料館を出て、山の周りを反時計回りに回っていきます。
資料館の南側は家臣居住区。二棟の武家屋敷が復元されています。

屋敷の周囲には土塀が作られ、屋敷同士も土塀で区切られています。土塀は高さ170cmほどあります。

この屋敷1つめ。約10×8mの長方形をしています。
初期方向左手に6×6mの主室、写真では見えませんがその右奥に6×2mの納戸、
初期方向右手に4×4mの台所、撮影のために立っているのが4×4mの土間です。

主室では、当時の武家の暮らしの様子を再現しています。
これは合戦に備えた軍議…ではなく、連歌を楽しんでいる様子だそうです。単に遊んでいるのではなく、連歌を嗜むことによって、教養を養い、仲間意識を強めることができるのだとか。

台所では使用人が客人のために茶の支度をしている様子が。

武家屋敷2

少し離れて、もう1軒の武家屋敷が復元されています。

中は資料展示室になっています。

中世の平時の様子が描かれています。

武家屋敷の南東には、排水路などが復元されています。

庭園区

このあたりは湯築城南部の庭園区です。
右手に外堀土塁を見ながら進んでいきます。

土塁

外堀土塁の途中に、半地下へ降りていく階段がありました。

中に入ると、なんと土塁の断面が観察できるようになっていました。
地層標本を博物館などに展示してあるのはよく見かけますが、土塁そのものの中に入れるのは珍しいですね。

堀、土塁

土塁展示室付近で遊歩道は大きくカーブして城の東側を北上するコースになります。
まもなく内堀にたどり着きます。

内堀の向こう側は岩崖になっています。
地図によるとこの手前あたりが上級武士の居住区で、この岩崖の上に神社があるようです。

遮蔽土塁。このあたりは外堀と内堀の間が最も狭くなっています。
この遮蔽土塁と外堀土塁の間が細い通路状になり、この北にある大手から城の南部を隠し、さらに門を築けば万が一敵に侵入された場合に南の上級武士居住区に進むのを妨げることができます。

城東側

城の東側は遺構の復元ではなく普通の公園として整備されています。こちらは子供向けのゆうぐ広場。ほかにグラウンドもあります。大手門はゆうぐ広場の近くにありました。

湯釜

城の北端には、石造湯釜があります。湯釜とは浴槽内の温泉の湧出口に設置するものです。花崗岩製で直径166.7cm×高さ157.6cmの円筒形をしています。

ここに置かれている湯釜は道後温泉本館ができた明治27年(1894年)まで使用されていたものですが、作られたのは奈良時代(750年頃)だと言われています。使用期間、なんと1,100年以上!

と、これだけだと湯築城とまったく関係なさそうなのですが…

よくみると湯釜上部の宝珠には、『南無阿弥陀佛』の6文字が刻まれています。この文字は鎌倉時代の有名な僧侶・一遍上人が刻んだものと言われているのですが、それを依頼したのがこの地を根拠地とする武将・河野通有こうの みちありで、湯築城を築城した河野通盛こうの みちもりは通有の子なのです。

山上部

湯釜の近くにある階段から山上へ向かいます。

ほんの1、2分で丘陵広場へ。ベンチがあって一休みできるようになっていますが、城時代に何らかの役割を果たしていたのかどうかは判りません。

さらに登って、もっとも高い位置にある本壇へ。標高71m、道後公園駅との標高差は30mほどのようです。現在は展望台があります。なお『本壇』という表記は江戸時代に書かれた資料によるもので、河野氏の時代になんと呼ばれていたのかは不明です。

展望台の上からは松山市街が一望できます。

VR写真の初期方向正面は、実は松山城を向いています。VR写真では解像度が不十分なのでよく判りませんが、天守が見えています。

以上で湯築城の見学は終了です。

データ

Webサイト道後公園・湯築城跡公式サイト
Google Map湯築城
アクセスJR松山駅より市電『道後温泉』行き利用、『道後公園』下車すぐ
100名城スタンプ資料館
見学時間資料館:09:00~17:00
公園の利用は自由
休館日資料館:月曜(祝日の場合は翌日に振替)
入場料資料館も含め無料

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