盛岡市内には100名城の1つでもある【盛岡城】があります。
ここまで触れていなかったのですが、実は毎日盛岡市内の宿に戻る前に寄ってすこしずつ見学していました。
盛岡城は南部氏の居城でした。
建物は全て失われていますが、本丸・二ノ丸・三ノ丸の石垣が残っています。
現在の盛岡城公園へ入場するメインルート、吹上門跡へと昇る入口。
吹上門跡から入り、腰曲輪へ。
僕が見に行ったときは、なぜか彫刻(?)作品が並んでいました。
常設の展示ではなく、期間限定のものだったようですが。
三ノ丸のほうまでぐるりと回っていくと、こんな巨石があります。
三ノ丸。石垣の高さからうける印象よりも狭いですね。
三ノ丸から二ノ丸へ、車門跡を通って上って行きます。
二の丸。
本丸が手狭なため、御殿は本丸と二ノ丸にまたがって建てられていたそうです。
現在ここには石川啄木の歌碑があります。
二ノ丸から本丸へかかる橋。
本丸と二ノ丸の御殿を結んでいた【御廊下橋】ですが、現在の橋は新しく架けられたものです。
道路から入ってきて数分でここまでたどり着いてしまいました。
たぶん石垣の上の最外周をまわったのに。
うーん、かなり狭いですね。
東北めぐりで見た他の城に比べてずいぶん小さな印象を受けます。
石垣は高いので下から見たときは大きな城なのかと錯覚してしまうのですが。
盛岡城本丸。
この写真でほぼ全景。
本丸の中央部にある、南部利祥(なんぶとしなが)像の台座。
南部利祥は南部家第42代当主。その頃はもう明治時代なので『藩主』ではありません。
陸軍中尉となり、日露戦争で小隊長として前線で指揮を取っていましたが24歳の若さで戦死。
旧盛岡藩士らによって銅像が建立されましたが、太平洋戦争中の金属供出によって像本体は撤去され、現在は台座しか残っていません。
…なんとも不運な人です…。
本丸、三重櫓跡。
盛岡城には天守閣が無く、この写真の位置にあった三重櫓が天守閣の代わりとなっていました。
最後に、盛岡城の裏側にある櫻山神社周辺を散策。
城の近く…かつては城内だったのでしょうが今は商店・民家の並ぶ一角…にある時鐘。
昭和30年頃まで実際に時刻を知らせるために鳴らされていたそうです。
ここから盛岡城とは反対側に進むと岩手県公会堂のほぼ正面に出ます。
盛岡城三ノ丸の裏手にある【櫻山神社】。
このすぐ近くからも三ノ丸に登れます。
櫻山神社境内にある【烏帽子岩】。
盛岡城築城時に出土した巨石です。
南部藩の守り岩として信仰の対象となっています。
この写真は櫻山神社側から撮った物ですが、三ノ丸からも岩の上半分を見ることが出来ます。