八王子城(要害部)その1

八王子城、登城何回目だろう…。いままでは体力不足や天候不良で山上部を見られなかったのですが、今回初めて本丸まで行ってきました。

八王子城について

ガイダンス施設内にある案内図

歴史

八王子城は、元亀2年(1571年)頃に北条氏照によって築城されました。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の軍勢によって攻められて落城、その時、城主・氏照は北条氏の本拠である小田原城にいましたが、小田原征伐で北条氏が敗北したことで切腹、のちに徳川家康によって八王子城は廃城となりました。八王子城が城として機能していたのは20年ほどの短い期間ですが、その最期である八王子城合戦の悲劇的な顛末によって強い印象を残しています。

構造

八王子城は標高445m(ガイダンス施設からは230mくらい?)の城山に築かれた山城です。山頂の本丸を始め山上に複数の曲輪を構えた要害部や、山腹の川沿いに御主殿のある居館地区などで構成されています。

現状

現在、山麓の屋敷跡は復元・整備が進んでおり、礎石や道路状の構造を見ることができます。
山頂近くには八王子神社があり、登山道の途中にいくつかの曲輪が残りますが、かつて安土城を参考に築かれたといわれている石垣はほぼ失われて見ることができません。

いざ登城

高尾駅

八王子城の最寄り駅は、八王子駅ではなくJR中央線・京王高尾線の高尾駅です。駅北側から八王子城方面のバスが出ています。今回は初めてガイダンス施設前まで直通のバスを利用しました。ガイダンス施設行きは土日のみ、1時間に1本の運行です。それ以外の場合は上の地図の右端にある霊園前バス停を通る路線を利用し、そこから歩くことになります。上の地図では近そうに見えますが霊園前バス停からガイダンス施設までは1km以上あり、さらに傾斜が緩いとはいえずっと上りで地味に体力が削られます。

ガイダンス施設~登城口

バスを降りてガイダンス施設前を過ぎ、隣接するエントランス広場を通って登城口へ向かいます。広場内には八王子城のジオラマがあります。ジオラマは山全体を再現していますが、今回見学するのはこの写真のあたりです。

エントランス広場を通り過ぎ、管理棟の手前で曲がると要害部への登山口です。登山口には鳥居があります。

登城路

上り始めてすぐに道が分岐しているのですが、僕は金子曲輪の見学のため直進せず左折。
僕が登った枝道の方が新道、直進する方が旧道というのだそうです。分岐直後は新道の方が急な上りに見えますが、旧道は道の状態が悪く登りにくいそうです…。

少し登るとまた鳥居があります。道や傾斜の様子はこの写真で判るでしょうか、それなりに急な山道です。

登城路の曲輪

金子曲輪

分岐して10分ほどで金子曲輪へ。
この曲輪は金子三郎左衛門家重が守っていたと言われています。尾根をひな壇状に整備した曲輪ですが、現在はベンチが設置されて登山途中の最初の休憩所になっています。

柵門跡

金子曲輪から15分ほど登って、柵門跡。ここで最初に分岐した旧道と合流しています。このあたりが8合目。ベンチがあって休憩できるようになっています。
柵門跡という名前だけは残っていますが、実はどのような門があったのか判っていないのだそうです。

高丸

柵門跡から10分ほど、高丸があります。『この先危険』らしいので入口から撮影だけ。

さらに本丸を目指して登っていく途中、眺めの良い場所があったのでちょっと足を止めて1枚。八王子市街地まで見渡せます。

次の記事ではいよいよ八王子神社~本丸へ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました