長篠城

岐阜・愛知小旅行です。まず最初の目的地は、日本100名城46番の長篠ながしのです。登城62城目です。

いざ登城

長篠城駅へ向かうJR飯田線の車中から、長篠城の南西を流れる豊川です。写真の右側が長篠城で、川を渡るとまもなく長篠城駅に到着です。
ちなみに長篠城駅から豊橋に向かって1つ隣の鳥居駅は、鳥居強右衛門の名からきているのだとか。

長篠城の最寄り駅、JR飯田線の長篠城駅は小さな無人駅でした。このとき、降りたのは僕一人。駅舎のデザインは城をイメージしたものでしょうか、長篠城は時代や規模を考えるとこんな建物ではなかったんじゃないかなぁ…

長篠城駅から長篠城址へ向かう途中、このあたりに搦手門があったそうです。立て札と石積があるだけで当時どのような門があったのか想像するのはちょっと難しいのですが。

長篠城駅から長篠城までは、ほぼJRの線路に沿ってまっすぐ平坦な道を600mほど。徒歩でも楽にアクセスでき、道に迷う心配もありません。10分とかからず城址公園の入口、帯郭跡に到着。

史跡保存館

城址入口には長篠城址史跡保存館があります。100名城スタンプもここ。先に保存館の中を見学してから城址に進むことにしました。

それほど広くはない展示室なのですが、展示棚が密に並んで展示品は多いです。

火縄銃など。長篠の戦いといえば、織田軍が3000丁の鉄砲を用いたことが有名です(数には諸説あり)。火薬容器などの出土品から、長篠の戦いが起こるきっかけとなった長篠城にも多数の鉄砲があったことがわかりました。

鳥居強右衛門の忠義心に感銘を受けた武田方の武将・落合左平次道次は、磔にされた強右衛門の姿を絵にして旗指物として使いました。史跡保存館にも旗指物のレプリカ(オリジナルは東京大学史料編纂所蔵)が展示されているのですが、これだけは写真のネット掲載禁止ということなので…代わりに旗指物の図案を用いた記念スタンプを。

ところで、スタンプも旗指物の展示もこの向き(頭が上)なのですが、強右衛門は逆さ磔にされたとして上下逆に頭を下にするが正しいという説もあるようです。

展示点数が多くちょっとごちゃごちゃした印象はあるのですが、なかなか見応えのある展示でした。

本丸

長篠城は、城の南西側を流れる豊川(当時は寒狭川と呼ばれていた)と南東側を流れる宇連川(当時は大野川)が合流する三角形の土地に立っています。東西どちらも川岸は高さ数mの崖になっており、この2方向からの攻撃は難しかったでしょう。
それに対して北側は平坦な土地が続いているため(おかげで駅から歩くのは楽でしたが)、本丸の北側にはこのように堀と土塁が築かれています。

本丸北側の土塁を本丸側から。本丸側から見るとそれほど高くはなく、空堀の深さとあわせても川のある南側の断崖絶壁に較べて少々心許ない感じはします。城だった頃はもっと堀が深かったり土塁が高かったりしたのかもしれません。

土塁の上には。城藪稲荷という稲荷神社があったようですが、300mほど離れたところにある大通寺境内に移転して、いまは鳥居だけが残っているようです。

本丸全景。土塁と堀のみが残り、建物跡は一切ありません。

本丸から見えるあれこれ

武田勝頼は、織田・徳川連合軍との長篠合戦に臨む際、長篠城本丸の東にみえる鳶ヶ巣山(この写真の奥)の山上に5つの砦を築き、長篠城に対する抑えとして武田信実たけだ のぶざね(信玄の弟)ら3000人を配しました。しかし徳川家家臣・酒井忠次が率いる別働隊の奇襲を受けてあっけなく砦はすべて陥落。長篠城は救われ、続く設楽原したらがはらでの合戦における織田・徳川方の勝利に繋がりました。

鳥居強右衛門が磔になったのは本丸南西の豊川を挟んだ向かい岸、ここから見えているあたりの川原だったそうです。そのあたりに碑があるらしいのですが木が邪魔でどこにあるのか判りませんね…

木々の間から滝が見えます。これは不忍の滝、豊川の支流で本丸と弾正曲輪の間を流れる矢沢川(碁石川)にかかる滝です。不忍の滝は最初はもっと豊川の近くにあったのが、浸食によって次第に後退して現在の位置になりました。この浸食によって矢沢川は谷になっており、本丸西側の堀として機能しています。
滝の近くまで行くルートが一応あるのですが危険そうだったので本丸から眺めるだけに。冬場で木の葉が少なければもっと見やすいかもしれません。

野牛曲輪

長篠城はJR飯田線によって分断されています。線路の北西側は本丸、南東側は野牛曲輪という曲輪でした。城址公園として整備されている本丸ほどはっきりしているわけではありませんが、野牛曲輪にも一部遺構が残っているということで観に行くことにしました。

長篠城すぐ近くの踏切で飯田線の南東側へ。踏切には遮断器がありませんので、渡る際には充分な注意を。

踏切を渡った後、線路に沿って100mほど進みます。

いまとなってはただの土盛りにしか見えませんが、野牛曲輪の物見台跡だそうです。

物見台跡の上に登ってみました。現在は木が多くて見通しはよくありません。

野牛曲輪、殿井とのいど跡。河岸段丘の砂礫層と岩盤の境界から水が湧きだしている場所で、城兵の飲料水に使われていたとか。写真の通り現在も水を湛えています。

この広場(というほど広くもないですが)が野牛曲輪の主要部分のようです。

これ以上は先に進めないようなので、長篠城の見学はこれで終了です。

データ

Webサイト新城市サイトによる長篠城の紹介
Google Map長篠城跡
アクセスJR飯田線 長篠城駅より徒歩10分
100名城スタンプ長篠城址史跡保存館1階多目的トイレ前(開館時間外でも押印可能)
開館時間史跡保存館:09:00~17:00
休館日史跡保存館:毎週火曜(祝日の場合は翌平日振替)、年末年始
入館料史跡保存館:大人220円、小中学生100円

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