増山城1

日本続100名城、登城43城目は、富山県砺波となみ市の増山ますやま(135番)です。

現地の案内パネルより

増山城について

歴史

増山城の歴史は古く、南北朝時代に和田城として史料に登場するのがその前身とされています。築城主は不明ですが、戦国時代には神保氏の拠点となっていました。その後神保氏が上杉氏と争って敗れると上杉家家臣の吉江宗信が入城、さらに織田氏に攻撃され落城すると織田家家臣の佐々成政が城を守るようになり、この地が前田氏の支配下になると前田家家臣の中川光重が城代となるなど次々に城主が変わり、江戸時代の一国一城令により廃城となりました。

構造

和田川を臨む山上に築かれた山城です。中世山城を基本とし、歴代城主が独自に拡張・改修を進めたことで壮大な規模をもつ山城となっています。山上部には一の丸・二の丸・三の丸の3つが東西に一列に並び、他にも大小の郭が多数配置されています。

登城ガイド

麓に休憩施設である増山陣屋が建てられ、増山陣屋に一番近い登城口には冠木門が復元されています。城内は建物の復元はありませんが、曲輪や空堀、土塁などはよく保存されています。登山路は判りやすく、道が分岐する場所には案内板が設置されていて迷わず登っていけます。ただし舗装されているわけではないので靴は山歩きのできるものを用意することをお勧めします。

砺波市役所公式サイトの案内では『冠木門から二の丸まで、行って戻って約30分』という記述があり、往復30分で気軽に行けるように読めますが、これはある程度山歩きになれた健脚な人の場合です。山道を歩き慣れていない人なら片道が30分以上と思った方がいいと思います。

公共交通機関でのアクセスが非常に悪いこと、続100名城スタンプ設置施設である砺波市埋蔵文化財センターと直線距離で4kmちかく離れているのも難点です。

いざ登城

現地までの交通

とにかく交通の便が非常に悪いです!麓にある休憩施設・増山陣屋まで、最も近い鉄道駅であるJR城端じょうはな油田あぶらでんから直線距離で6km、油田駅の隣駅であり城端線では比較的大きな駅である砺波となみからだと直線距離で8kmほどあります。歩けば2時間以上かかる上、増山陣屋に近づくと上り坂になり、かなり体力を削られるので現実的ではありません。砺波駅にはレンタサイクルがあるようですが同じ理由で却下です。

せめて少しでも近くを通るバスがないか探してみたところ、増山陣屋から1kmを切る位置に『増山』というバス停を見つけました。しかしバスのダイヤを調べたところ、このバス停を経由する砺波市営バス 栴檀野線 は、朝6時台に上り、夕方17時台に下りと1日2便しかなく、まったく使えそうにありません。せめて上りと下りが逆ならどちらか片道は使えるかもしれないのに…まぁ地元の人の足としては、朝に駅に向かって夕方帰ってくるのですから、これが正しいのですが…。他に『東開発ひがしかいほつ』『北明太子堂きためたいしどう』などのバス停がまぁまぁ近いですが、いずれもバス停から増山陣屋まで徒歩1時間かかります。

ええい、仕方ない!タクシーじゃ!

油田駅の方が近いのですが、これは小さな無人駅で駅前ロータリーなどもなく、タクシーは予約しないと来ません。

今回は駅前にタクシー乗場のある砺波駅から現地まで往復することにしました。

先に往復の料金を書いておくと、

往路:砺波駅から増山陣屋まで直行で 4,200円
復路:増山陣屋から埋蔵文化財センターを経由して砺波駅までで 5,400円(迎車料金含む)

でした。合計9,600円…諭吉さん、または栄一さん、さようなら…。まぁタクシーは1台に乗れる人数なら同じ料金ですから、3~4人のグループで行くことをオススメします。僕はぼっちでしたが。

※道路の混雑状況などにより値段は増減します

増山陣屋

増山陣屋は、増山城登城口近くにある休憩施設です。利用は無料。ただし夜間は中に入れません。

増山陣屋の休憩室です。増山城の地図をはじめ、いろいろな情報が貼り出されています。空調はないので、今の季節だと暑いのですが…。水道は使えるようです。来訪者ノートがあったのでちょっと見てみましたが、土日で1日5人程度が訪れているようです。平日はまったく書き込みがない日も多いですね。

杖のレンタルがありました。

他に多目的トイレ、飲料自販機もあります。登城前にここでしっかりいろいろ整えていきましょう。

増山城は、数日前に訪問した鳥越城と異なり熊の目撃情報はなかったのですが、せっかく持っているので熊鈴を装備しました。

増山陣屋から1分もかからずに和田川ダムへ。このダムを渡った先に登城口があります。

※車両は通行止めですが徒歩なら自由に渡れます。

このダムの下流側には庄東第二発電所があります。

ダムを渡りきるとすぐに登城口の冠木門があります。それでは城へ突入!

登城路

しばらくは急な山道が続きます。階段が設置されているので登りやすい方ですが…。

登り始めて間もなく(たぶんほんの2~3分くらい)、なんの脈絡もなく鐘がありました。『登城の記念に鐘を鳴らしましょう』と書かれていたので、せっかくなので鳴らしておきました(笑)。

…いやもしかしたら熊除けの効果もあるのかも?

大堀切

鐘の位置からまた2~3分登ると、右手に大堀切が見えてきます。木が多くて判りにくいですが、よく観ると左手の斜面にも堀切らしき窪みが見えます。この堀切はここまで登ってきた登山路を挟む2つの尾根をはじめ複数の尾根を連続して切断していて、その全長は300m以上、最大深さは10mにもなります。

F郭

大堀切からさらに2~3分、冠木門からだと7~8分登ると、右手に最初の曲輪が見えてきます。登城路側以外の二方が登り急斜面、一方が下り急斜面となったこの場所は、冠木門からの登城路を監視するために作られた曲輪とみられています。中世土師器などが出土していることから曲輪として使用されていたことは確かなのですが、古絵図などに名称がないために仮称『F郭』と呼ばれています。

登り斜面の上は後述の馬之背ゴと呼ばれる郭で、万が一F郭が敵の手に落ちた場合は斜面上から攻撃ができるようになっています。

馬之背ゴ

F郭の一段上、二方を囲むように位置するL字型の曲輪は、馬之背ゴと呼ばれています。折れ曲がった曲輪の外側の縁は土塁で守りが固められています。変わった曲輪名ですが、これは土塁の形状が馬を連想させるからだそうです。

中枢部

ここからは大きな曲輪が複数配置されているので城の中枢部だと想われます。

又兵衛清水

馬之背ゴから二の丸を目指して5分ほど、登城路からはずれてちょっと下ったところには又兵衛清水またべえしょうずがあります。二の丸のすぐ近くの場所に水源があるのは、山城としては有利な点でしょう。

降りてみました。

名前の由来は、築城時の城主神保氏の家臣・山名又兵衛やまな またべえという人物がこの清水を発見したからだと言われています。

近づいてよく観ると、いまでも水が湧いているらしいことが判ります。石枠は現代のもののように見えますが…。

この水は富山の名水100選に選ばれています。とはいえさすがにこの場で飲む勇気はありませんでしたが…。

石垣

又兵衛清水からまた2分ほどあるくと、城内唯一の石垣が見られます。登城路はこの写真右手フレーム外で石垣の上に登り、石垣の上を写真左手に向かって続いています。

二の丸

石垣の上を歩くとまもなく二の丸です。

現地解説パネルの二の丸復元CG。
たぶん一番奥にあるのが虎口、手前が鐘楼堂

虎口

たぶんここが二の丸虎口でしょう。登城路が直前で直角に折れ曲がり、土塁の切れ目から曲輪に入るようになっています。復元CGによると枡形にはなっておらず、この位置に薬医門?があるように描かれています。

二の丸全景

二の丸です。二の丸という名称は古絵図にもあるようですが、実は東西方向に一列に並んだ大きめの3つの曲輪を城下町に近い方から順に一の丸・二の丸・三の丸としたもので、規模や構造からしてこの二の丸が城の中核…他の城での本丸にあたるのではないか、とされています。

二の丸には案内図や休憩用の椅子・テーブルが設置されています。写真の『国指定史跡 増山城跡』の札があるのがだいたい二の丸の中央あたりで、樹木に遮られてよく見えませんがその先にも二の丸が続いています。

※なお、上の写真にもある『国指定史跡 増山城跡』標識の前など、ここにたどり着いたことが判るような自撮り写真を砺波市埋蔵文化財センターで見せると、記念品がもらえます。

神水鉢

二の丸中央部、『国指定史跡 増山城跡』の標識のすぐ近くの木の根元には、中心に穴の開いた岩があります。穴は直径30cmちかく)で、水が溜まっています。形状が手水鉢を連想させるため『神水鉢』と呼ばれていますが、実際には水をためるためのものですらなく、旗竿石(軍旗などを立てるための台)ではないかと言われています。

鐘楼堂

二の丸の北東隅(石垣側から入ると最奥)には鐘楼堂がありました。ここは二の丸の他の部分より一段高くなっています。

鐘楼堂の上部は13×12m、城内最大規模の櫓台で、天守に相当する中心的な建物があったのかもしれません(時代的には天守とは言わないですが)。

鐘楼堂跡からは、空堀を挟んで二の丸の北側に隣接する安室屋敷を見下ろすことができます。

長くなってきたので記事を分けます。

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