2023年9月の宮城県の白石城から丸二年空いてしまいました。ひさしぶりの続100名城攻略、登城42城目は、石川県白山市の鳥越城(136番)です。

鳥越城について
歴史
鳥越城は戦国時代築城されたと山城ですが、築城主は戦国大名ではなく、織田信長に対抗する一向宗(浄土真宗本願寺教団)信徒たちでした。
当時の加賀地方では一向宗信徒の集団が力を持ち、本願寺宗主である蓮如が政治や闘争に関わらないようにといさめていたにもかかわらず、守護・富樫家のお家騒動に介入して富樫政親を当主に擁立、その後政親が一向宗を危険視し始めると逆に政親が籠城する高尾城を包囲して政親を自害に追いやり、加賀地方の実権を握ってしまいました。そのため加賀は、武家や公家の支配を受けない『百姓の持ちたる国』と呼ばれるようになりました。
織田信長が台頭して浄土真宗本願寺勢力と対立、元亀元年(1570年)~天正8年(1580年)の石山合戦などたびたび信長と一向宗勢力の武力衝突が繰り返される中、一向宗の最大勢力であった加賀一向衆徒の拠点として天正元年(1573年)頃に鳥越城が築城されました。天正8年に石山本願寺が信長と講和したのと同時期に信長の家臣・柴田勝家によって鳥越城は落城、その後もこの地方の一向宗徒の抵抗は続きますが天正10年(1582年)に鎮圧、加賀一向一揆は終焉を迎えます。
※学校の歴史の教科書だと『一揆』=『反乱行為』のように説明されていますが、本来は『同じ目的のために結成された集団』の意味です
構造
東を手取川、西を大日川に挟まれた南北に細長い丘陵地の先端部(2つの川の合流点付近)に築かれた山城です。標高313mの山頂部に築かれた本丸は三方を急斜面に囲まれ、唯一なだらかな本丸南方に中の丸、さらに尾根に沿って北側に前二の丸・前三の丸、南側に後二の丸・後三の丸と曲輪が配置されています。曲輪の間は空堀で区切られ、それらの周囲には一団低い位置に腰曲輪が配置されているなど、地形を活かした山城となっています。
見学ガイド
現在は本丸・中の丸・二の丸・後二の丸が城址として整備され、本丸門と中の丸門が復原されています。本丸と二の丸には建物跡も判りやすく表示されています。
公共交通機関でのアクセスは、北陸鉄道石川線 鶴来駅 より北陸鉄道バス 河原山線を利用、上野バス停から徒歩15分ほどで登城口につきます。
山頂近くに駐車場があり、車で上ることもできます。
※令和4年8月4日に発生した豪雨災害及び令和6年1月1日に発生した能登半島地震により道と遺稿が損傷し、長らく工事のため登城不可になっていましたが、令和7年7月頃より本丸まで登城可能になりました。
※鳥越城のある地域では熊の目撃情報があります。最低でも熊鈴の装備、できれば熊撃退スプレーなどの用意をオススメします。
いざ登城
事前準備

熊鈴は持っていたのですが、今回は市役所から現地の熊目撃情報が出されているなどいままでの山城攻略よりさらに熊に出くわす危険が高そうなので、前日に宿泊していた金沢市内のアウトドアグッズ専門店モンベルで熊撃退スプレーをレンタルしてもらいました(3日間まで2,500円、保証金12,000円。もちろん機材を未使用・破損なしで返却すれば保証金は返金されます)。
※いま全国的に熊目撃情報が多くレンタル依頼も増えているそうなので、早めに予約しておく必要があります(Web予約可)。
鶴来駅

金沢からIRいしかわ鉄道・北陸鉄道石川線と乗り継いで約50分、鶴来駅(終点)へ。石川線の中では大きな駅です(というか両端である野町駅と鶴来駅以外は全部小さな無人駅のような気が…)。

駅待合室には北陸鉄道で使用されていた備品が展示されています。

これは懐かしい。ワンマン車の車内放送用のエンドレステープですね。僕が子供の頃は、田舎に行くとまだこれを使っているバスがありました。

鶴来駅前から北鉄バス 瀬女行き(河原山線)に乗車、約45分で上野バス停へ。途中、地元の小学生が何人も乗ってきたのですが、全員が熊鈴を付けています。やはり一定以上の熊出没の恐れがあるのでしょう。
正面奥に見えるのが鳥越城のある山です。登城口は写真右手の道をまっすぐ進んだところにあります。このあたりではバスは自由乗降制(バス停以外の所でも乗降できる)なのですが、バスは左手の道に入ってしまいますので、結局上野バス停で乗降するのが登城口に最も近いようです。
そして無情にも雨…。まぁ山城ですが山頂近くまで舗装道路で登れるので、足を滑らせて転落…などの危険はごく小さいと判断して先へ。
登城路~出丸~駐車場
登城口

バス停から登城口までは徒歩で15分ほど。ここで熊鈴・熊撃退スプレーなどの装備を確認して突入。
って、熊を気にしすぎて上り途中の写真を1枚も撮ってない(苦笑)
ずっと乗用車がすれ違える道幅の舗装道路が続いているので登るのは楽です。雨が続いていますが道がぬかるんだり崩れたりという危険もありません。
出丸

構造ははっきりしませんが、図面によるとこのあたりが出丸跡のようです。

出丸跡には、『加賀一向一揆 最後のとりで 鳥越城 天正八年十一月落城』と刻まれた石碑があります。
駐車場

駐車場到着。登城口からここまで25分ほどかかりました。鶴来駅からタクシーを利用すると5,000円程度のようなので、3、4人のグループならバス代とそれほど変わりません。
駐車場にはトイレもあります。このあたりには他に公衆トイレがまったく見当たらないのでご注意を。城山内どころか、上野バス停・三坂バス停・釜清水バス停など周辺のバス停付近にもありません。ここ以外は後述の一向一揆の里にしかなさそうです。

駐車場にあった鳥越城中心部の案内図です。今回は雨の影響と熊の懸念から、駐車場から道が続いている本丸・中の丸・二の丸・後二の丸だけを回ることにします。
鳥越城中心部
本丸下
駐車場から、後二の丸~本丸の西側を通って登っていきます。

あやめが池。空堀にわき水が流れ込んでできたもののようです。本丸近くに水源があるのは、山城としては強みですね。

登城路右手に碑がありました。『一揆破れて山河あり』かな(『山河』の部分が判読しづらい書体なのでちょっと怪しい)。

登城路に沿って空堀があります。写真左手、空堀の反対側の斜面の上は後二の丸です。
中の丸

本丸門をいったん通り過ぎて、先に中の丸にきました。
屯舎

この小屋は現地には何も解説がないのですが、白山市発行の『鳥越城跡史跡整備計画図』によると『屯舎』となっています。現在は休憩所として使えるようです。
中の丸門

中の丸には中の丸門が復原されています。

門の先にも道が続いていますが、かなり傾斜がある上に雨でぬかるんでいて滑りそうなのと、見通しが悪く熊が怖いので(←重要)、ここから先へは行かないことにしました。
二の丸

中の丸の南には二の丸が接続しています。中の丸と二の丸の間には段差はありますが、本丸と後二の丸の間のように空堀で区切られていたわけではないようです。
周囲には土塁の痕跡が確認できます。
隅櫓跡

二の丸には隅櫓跡があります。礎石の並びからしてそれほど大きな櫓ではなかったようですね。

さすが、櫓があった場所からは眺めがいいですね。正面に見えているのは鳥越小学校ですね。朝、バスで一緒になった子たちはここに通っているのかもしれません。
長くなってきたので記事を分けます。


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