赤穂城について
100名城登城96城目は、兵庫県の赤穂城(60番)です。
歴史
現在の赤穂城は、赤穂浅野家初代の浅野長直が、慶安元年(1648年)に築城を開始、寛文元年(1661年)に完成した、かなり新しい城です。三代にわたって赤穂浅野家が城主を務めましたが、元禄14年(1701年)に第3代藩主の浅野長矩(浅野内匠頭)が江戸城中で吉良義央(吉良上野介)に対する刃傷沙汰を起こして改易になった後、元禄15年(1702年)には永井直敬が入封。宝永3年(1706年)に直敬が転封となると森長直が入封、以後明治時代まで森家が赤穂城主でした。
構造
赤穂城は海岸近く(築城当時は城のすぐ南が海岸だったとのこと)の平地に築かれた平城です。本丸の周囲を二の丸が囲み、その北側に三の丸が隣接するという、輪郭式と梯郭式を組み合わせたような構造をしています。
現状
明治時代に建物は破壊されてしまい、江戸時代の遺構は土塁や石垣しか残っていなかったのですが、昭和初期より復元がはじまり、大手門や隅櫓などいくつかの建築物が復元されています。現在は本丸・二の丸・三の丸が広大な城址公園となっており、さらに復元整備が進められているようです。
三の丸
三の丸大手門
赤穂城の三の丸大手門に到着。
二層の大手隅櫓は明治時代に一度取り壊されたものを昭和30年(1955年)に復元。
ここまで播州赤穂駅の駅前ロータリーからは大通りを道なりに850mほど。バスもあるようですが、歩いても10~15分程度でしょう。花岳寺からは5分ほどです。
三の丸大手枡形の外側。太鼓橋は昭和10年(1935年)、高麗門は隅櫓と同じ昭和30年の復元。
高麗門を入り、大手枡形へ。何度も直角に折れ曲がる複雑な通路になっています。
番所を模しているのかな。休憩所があります。
休憩所の中には赤穂城の歴史を解説する展示などがあります。
本記事冒頭の全体図もここにありました。
近藤源八宅跡
少し進んで、近藤源八宅跡長屋門。近藤源八(近藤正憲)は赤穂浅野家家臣の甲州流軍学者で、大石内蔵助らに兵法を教授した人物だそうです。吉良邸討ち入りには参加していません。
中も見学できます。
さらに室内も見られます。いろいろ資料展示もあります。
大石神社
大石良雄宅跡長屋門。
この門は近藤源八宅跡長屋門のほぼ向かいにあります。
門の向こうは大石邸だった場所で、いまは大石神社になっています。門の内側には大石神社内の義士木像奉安殿から回ることが出来ます(有料)。
大石宅長屋門より100mほど歩くと、大石神社の参道にたどり着きます。
参道両側には赤穂義士の像がずらり。
参道の向かって右側には、討ち入り時に正門から攻め入った23人が並んでいます。
これらの像は中国産の大理石を用い、兵馬俑の工芸技術伝承者によって作成されたそうです。
一番奥には、正門隊を率いた大石内蔵助がいます。
向かって左側には、裏門から攻め入った24人が並んでいます。
左列の一番奥は、裏門隊を率いた大石主税でした。
門をくぐると、両側には、惠美須さまと…
大黒さまが。
本殿
本殿周辺。初期位置前方が本殿、左手に義士宝物殿、右後方に義士木像奉安殿があります。
本殿に参拝した後、宝物殿と義士木像奉安殿などを見学します。
義士宝物殿
義士宝物殿。右の小さな建物も宝物殿別館です。
宝物殿の中はこんな感じ。打ち入りの装束を着て記念写真が撮れます。
なかなか味のある馬の絵ですが、大石内蔵助が描いたものだそうです。
大石内蔵助愛用の品々だそうです。右にある采配(武将が指揮のために使う房のついた棒)や中央手前の呼子鳥笛は、討ち入りの際に使用されたものと伝えられているそうです。
大石神社を訪れた著名人の写真も飾られていました。
里見浩太朗氏は1985年に日本テレビ系で放送された年末時代劇スペシャル『忠臣蔵』で大石内蔵助役でした。放映当時に視聴しましたが、里見浩太朗氏を始め豪華なキャストで、前後編あわせて5時間近くをかけてじっくり丁寧にドラマを描く、非常に良い作品だったと記憶しています。前編ラストで大石内蔵助主税に切腹の作法を教えるシーン、後編クライマックスの討ち入りシーンで森繁久弥氏演じる吉良上野介が見苦しい抵抗をせず舞を一差し舞ながら討たれる場面は印象的でした。
義士宝物殿別館
隣接する義士宝物殿別館へ。
討ち入り翌朝、吉良上野介の首を掲げて両国橋を渡っている場面のようです。
義士木像奉安殿
宝物殿を出て、義士木像奉安殿に向かいます。チケットは共通です。
建物前には大石内蔵助像が。
義士木像奉安殿の中はこんな感じ。
赤穂義士47+浅野内匠頭+萱野三平の合計49体の木像が展示されています。
浅野内匠頭像。
勅使御饗応役として身をただしている姿だそうです。
大石内蔵助像。
松の廊下の一報を聞き急ぎ登城しようとしている姿だそうです。
大石邸庭園
義士木像奉安殿の中から専用の通路を通って、旧大石邸の庭園に行くことが出来ます。
写真正面の建物は、先ほど外側を通った大石邸長屋門です。
『門』といいつつ僕の家よりよほど中が広い(笑)。
この部屋には大石家の女性陣と子供の人形が。
こちらは討ち入り時の装束の大石内蔵助ですね。
こちらの部屋では、大石内蔵助がなにかの報告をきいている場面のようです。
早水藤左衛門(右)と萱野三平(左)…ということは、松の廊下の事件を知らせる場面ですね。
大石神社の御神木、大楠。
高さ21mもある大木で、樹齢は300年以上と言われているそうです。
松の廊下の事件が元禄14年(1701年)。もしかするとその頃にはもうここにあったのでしょうか?
庭園の一角にある子宝陰陽石。
注連縄を巻かれた3つの石。右手の陽石(男性)と左手の陰石(女性)が向かい合い、その中間に子石が並んでいます。それぞれの石を撫でると夫婦和合・子孫繁栄の御利益があるらしいです。
塩屋門
大石神社を出て少し進むと塩屋門があります。この外側はすぐに市街地になっています。
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