高島城

続日本100名城、登城48城目は、長野県諏訪市の高島城(130番)です。

高島城について

歴史

戦国時代、諏訪地方を治めていたのは諏訪神社の神職でもあった諏訪氏でした。しかし諏訪頼重すわ よりしげの時代に諏訪氏は武田信玄に降伏して頼重は切腹、信玄の家臣・長坂光堅が諏訪郡代となります。信玄が世を去ると、諏訪氏の血を引くともいわれる武田勝頼が諏訪地方を支配することとなりましたが、その勝頼も織田信長によって滅ぼされると、諏訪地方は信長の家臣・河尻秀隆の領地となりました。信長も本能寺の変で倒されると、秀隆は武田家旧臣の反乱によって殺害されました。このとき、諏訪頼重の従弟で諏訪大社上社の大祝おおほうり(最高位の神職)であった諏訪頼忠すわ よりただは諏訪家を再興、侵攻してきた徳川家康と和睦してその家臣となり、一時的に諏訪の旧領を回復しました。

ようやく諏訪氏が諏訪の地に戻れたかと思ったのもつかの間、小田原評定後に家康が関東に移封されると、頼忠もそれに従って武蔵(現在の埼玉県)・さらに上野(現在の群馬県)に移りました。代わって諏訪に入ったのは豊臣秀吉の家臣で築城の名手とも言われた日根野高吉ひねの たかよしでした。高吉はこの地に城を築くことを決め、文禄1年(1592年)に高島城の築城が開始されました。工事には7年を要し、完成は慶長3年(1598年)のことでした。

関ヶ原の戦いの直前に高吉は没し、その嫡男・吉明よしあきらは下野(現在の栃木県)に移りました。代わって、諏訪頼忠の嫡男・諏訪頼水すわ よりみずが諏訪氏旧領にもどって高島城に入りました。これ以降、明治維新までずっと高島城城主は諏訪氏でした。

構造

諏訪湖の南東部に位置する高島城は、諏訪湖に流れ込む河川の河口部に築かれました。西側を諏訪湖に接し、南北を流れる川を外堀とし、北から南に向かって三ノ丸・二ノ丸・本丸と主要な曲輪が一列に並ぶ連郭式の縄張りをもっていました。正方形に近い形状の本丸北西には大天守・小天守が置かれ、他に角櫓・持方月櫓・富士見櫓の3つの2重櫓と、多門櫓が7つあったといわれています。

見学ガイド

現在の高島城は、本丸が城址公園として残されています。JR上諏訪駅から徒歩15分ほど、周囲は市街地で道はちゃんと舗装されており傾斜もほとんどないのでアクセスは容易でしょう。

かつては湖に面し『水面に浮かぶ城』とも呼ばれた高島城ですが、現在では埋め立てられて本丸から湖岸までは500m以上あります。もとは湖や河川を活かして水堀としていたのだと思いますが、現在は本丸の北側から東側にかけて、河川とは接続しない水堀となっています。

天守は鉄筋コンクリートで復興された物で、内部は史料館になっています。

いざ登城

高島城は上諏訪駅から徒歩15分ほど。今回は朝イチで遊覧船に乗ったのでその乗り場からだと25分くらいかかったかな?平坦な市街地の道なので歩くのは楽です。

河川

遊覧船乗り場(本丸の約1km北)から歩いて行くと、三ノ丸・二ノ丸だったあたりを横切っているはずです。完全に市街地になっていて遺構などはみられないのですが、途中で数度川を渡ります。これらの川もかつては水堀として使われていたと思うのですが…まぁ川筋が当時と大きく違っている可能性もありますけどね…。

三ノ丸湯跡

本丸の100mほど手前でも川を渡るのですが、橋の近くに三ノ丸湯跡というものがありました。

天明6年(1786年)、高島藩7代藩主・諏訪忠粛の命により、自然湧出していた温泉を木管で引き寄せ、この場所に浴室を設けたのが三ノ丸湯のはじまりで、最初は藩主が使用し、のちに城内居住の藩士が使用するようになりました。明治維新後も旧藩士がしばらく『士族の湯』として維持管理していました。大正時代に共同浴場となり、その後も運営が続いていましたが、利用者の減少から平成8年(1996年)に閉鎖されてしまいました。

いまも湯が流れています。触れてみると、たしかに温かいです。

写真奥の橋の先に本丸があるのですが、ここが『三ノ丸湯』ということは、この写真の橋の下を流れる川が当時と同じ位置を流れていて二の丸と三の丸の区切りとなっており、橋を渡ったところから本丸北の堀の手前までの幅約100mの部分が二ノ丸だったのでしょう。

本丸

というわけで本丸北側に到着です。大規模な水堀に石垣、天守と角櫓、そして城門…高島城の建築物の大部分がこちら側に集中しています(石垣以外はすべて復興ですが)。

冠木門

冠木門とは2本の柱の上に横木を通しただけの簡素な門のことをいうはずなんですが。

櫓になってるじゃねーか!

絵図では楼門あるいは高麗門となっているらしく(いや楼門と高麗門もかなり形状違うが)、さらに訳がわからなくなります。

冠木門付近から天守台までの石垣は、築城当時の物が残っているのだそうです。地盤が軟弱なので、大木を組んだ筏の上に石垣を積んであるのだそうです。

それでは、本丸内を時計回りに一周しながら見ていきましょう。

現在の本丸はこのようになっています。

角櫓

高島城本丸の北西角にある二重櫓・角櫓です。昭和45年(1970年)に復興されました。現在は茶室として使われているようで、僕が行ったときも茶会が開かれていました。時間外?だったのか人の気配がなかったのですが、クローズドな団体の会というわけではなく費用を払えば誰でも参加できる会のようでした。

角櫓から本丸東辺上には土塀が建てられています。本来は多門櫓だったようです。

持方月櫓跡

角櫓から少し南へ移動して、こちらは持方月櫓跡です。建物は復元・復興されておらず、礎石などの表示もありません。たしかに角櫓と同程度の櫓が建てられそうな広さの平面ではあります。

先ほどの土塀(多門櫓跡)を持方月見櫓跡からみるとこのようになっています。この写真からも判るように、持方月櫓から南は一段東側に張り出すようになっています。

ステージと歩道橋

さらに南へ進むと、野外ステージがあります。ここでいべんとをやることもあるのでしょうか?ステージの奥には歩道橋がかかっています。

歩道橋の上からは、本丸東側の堀と石垣の様子を見ることができます。

富士見櫓跡

本丸南東角は富士見櫓跡です。持方月櫓跡と同様、『富士見櫓跡』と書かれた案内板以外にはなにもありません。ここから本丸南辺にそって多門櫓もあったようです。

なお、正面に見える建物は個人宅ではなく公民館です。

富士見櫓跡を歩道橋からみるとこのようになっています。

富士見櫓跡の石垣を外から見るとこのようになっています。

土土門

本丸南側の出入り口である土土門です。もとは枡形があったようなのですが現在は構造が完全に失われ、そのまま直進して公園に入れます。もしかしたら並んでいる岩のいくつかは昔からあるものなのかもしれませんが…。

公園施設

本丸南部にはいくつか遊具が置かれた児童公園になっています。

地図に『浮島手水庵』と書かれていたので隣接する神社の関連施設かとおもいきや、公衆トイレでした。そういえばトイレのことも手水場といいますね。

諏訪護国神社

本丸南西部には諏訪護国神社があります。

全体の規模にくらべてかなり立派な本殿のように思います。

境内にあるこの胸像は、永田鉄山中将です。上諏訪町(現在の諏訪市)の出身で、明治時代から昭和初期にかけて活躍した陸軍軍人です。

川渡門

本丸西側の出入口・川渡門です。現在ここにある門は、もとは藩主の別邸である三之丸御殿の裏門だったもので、昭和63年(1988年)に所有者から諏訪市に寄贈され、ここに移築されました。

城の西側が諏訪湖に面していた頃は、この門から船に乗ることができたそうです。

川渡門から外に出ると、およそ城の石垣とは思えない石積みがありますが、まぁさすがにこれは城時代に積まれた物ではないでしょう。

公園入口

本丸西辺の天守近くには、小さなトンネル状の入口があります。公園内と高さが違うので入ってすぐ階段になっています。こういう秘密基地めいた入口も好きなのですが(苦笑)もともとここに埋門があったというわけではないでしょう。

庭園

かつて本丸御殿があった公園中央部は、この心の字池を中心とした庭園になっています。池には多数のカモなどの水鳥が見られます。

完全にシーズンを外れていますが藤棚もありました。

その他屋外展示物

いらか

冠木門近くに置かれた『いらか』と題された作品。諏訪市出身の美術家・細川宗英氏の作品です。

亀石

天守近くにある、亀のようにも見える平たい石です。元々城内の庭園にあったのが明治時代の廃藩のときに城外に移され、平成19年(2007年)に再び城内に戻されたという曰付きです。『水を掛けると、まるで亀が生きているようになり願いが叶う』のだそうです。

石集配湯枡

三ノ丸湯に湯を引くためにつかわれた石枡です。穴の部分に木樋を通してあったのでしょう。店主の近くにあります。

天守

それではいよいよ天守に突入します。日根野高吉が築城した頃の高島城天守は三重五階の独立式望楼型天守で、屋根は杮葺きでした。諏訪は寒暖差が激しいために割れやすい瓦を使えなかったとか、地盤が軟弱なため軽量化のためとか理由は色々ありそうです。この天守の軽さを利用して、天明6年(1786年)には足場を組んで天守台を持ち上げ、天守台の石垣を修復するというアクロバティックな工事も行われたそうです。

現在の天守は昭和45年(1970年)に復興されました。鉄筋コンクリート造りの三階建てで、内部は1~2階が資料館、3階が展望台になっています。明治時代まで残っていたオリジナルの天守の写真を参考にして作られているとのことですが、復元ではなく復興天守と呼ばれているということは写真点数が少ないなどで形状に不明点が多かった、ということでしょうか。

1階

1階では諏訪氏・高島藩の歴史の概略の解説展示があります。

ちょっとだけ武具なども展示されています。

1988年のNHK大河ドラマ『武田信玄』のポスターがありました。南野陽子さん演じる湖衣姫こいひめ、懐かしいですね…。諏訪頼重の娘で武田信玄の側室、武田勝頼の母という非常に重要な立場なので武田信玄・勝頼を扱った映画やドラマには良く登場する人物ですが、歴史資料では諏訪御料人または諏訪御前と記され本名が不明です。湖衣姫というのはNHK大河ドラマの原作である新田次郎氏の小説での名で、他の作品では『由布姫』(井上靖氏の作品での名)、『珠々姫』などまったく別の名前で呼ばれていたりします。

2階

2階は高島城ゆかりの資料を展示されています。城主の品などがありましたが撮影禁止だったので写真はありません。

3階

3階は展望室になっています。

高島城のジオラマもありました。

3階の東西の面には、本来はなかった浜縁高欄(ベランダ状の部分)が設けられ、外に出られるようになっています。

東側

東側からは本丸全景を見下ろすことができます。地上では判りにくい庭園の形状がよく見えます。

上の写真と同じ方向の中央付近を望遠したものですが、奥に微かに見えるのは富士山でしょうか?

西側

西側からは諏訪湖が見えます。かつては天守のすぐ足下まで湖だったと伝えられていますが、いまは湖まで500m以上の距離があります。埋め立てと諏訪湖の水位低下によるもののようです。

小天守台

天守の南側には小天守があったのですが、形状は不明だそうです。この案内板の後ろにある部分が小天守台のようですが…いくらなんでも小さすぎる!小天守は四畳半一間か!

…と思ってしまうのですが。

よくみるとこの小天守台は、その奥にある石垣(この石垣の上は天守に上る階段)の角に沿ってL字形になっているようです。

天守前の階段の上から見下ろして確認するとこうなっています。

どうやら現在天守に上る階段になっている部分の石垣は後から付け足した物で、その下に小天守台の大部分が埋まってしまっているようです。そう思ってみると、階段がなければ10m四方くらいの広さがあるように見えます。

まとめとデータ

JRの特急停車駅から徒歩圏、無料の駐車スペースもあり、遠方からも見学に行きやすい城だと思います。

現在の城址公園は南北150m×東西100m程度とそれほど大きくありません。復興建物もほとんど北側にしかないので、天守内部を除けば10~20分程度でも見てまわることができると思います。

諏訪湖周辺には多数の美術館・博物館がありますのでハシゴ見学のプランを立てるのがお勧めです。

関連サイト諏訪市公式サイト内の高島城紹介ページ
諏訪市観光協会による高島城紹介ページ
地図GoogleMap
アクセスJR上諏訪駅より徒歩15分
スタンプ高島城天守1階
※開館時間のみ、休館時の代替施設はありません!
開館時間公園・建物外観は見学随時
天守は4~9月:9:00〜17:30、10~3月:9:00~16:30
休館日12/26〜12/31及び11月第2木曜日
入場料公園は入場無料
天守:大人310円、子ども150円
備考トイレは公園南部にあり(天守内にはない?)
公園内には飲料自販機はないが、周辺の市街地にコンビニ・飲食店など多数

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