関西旅行4日目。
スルッとKANSAIパスで和歌山まで行けるようなので、ちょっと足を伸ばしてみることにしました。
例によって朝早く宿を出て、新今宮駅から南海の特急(運賃だけで乗れます)で【和歌山市】駅へ…。
大阪を出て和歌山に入ると、窓から見える風景はとんでもなく田舎に。
和歌山市に近づいてようやく街が見えてくるという…。
というわけで、1時間ほどで和歌山に初上陸。
駅からちょっと歩いて、
この【追廻門】から城内へ。
天守閣方向へ進んだ場所にある石垣では、石の表面に
このような刻印を見ることができます。
この刻印は40種類以上が確認されているそうですが、なんのためのものかはハッキリとは判っていないとか。
石垣の前を過ぎ、天守閣へと登る【新裏坂】へやってきました。
これを登ると、
【天守曲輪】の門のすぐ前にたどり着きます。
ここでチケットを買って中へ。
この【楠門】をくぐれば【天守曲輪】。
和歌山城の天守曲輪は、
乾櫓、
楠門と二ノ門櫓、
そして大小天守などが互いに廊下で連結され、回りを完全に囲っています。
あまり広さがない上に木が多く植えられていて建物の写真が撮りにくいのですが(苦笑)
それでは天守閣へ突入。
和歌山城天守閣は江戸時代に一度焼失~再建されていますが、その後1945年に焼失。現在の天守閣は鉄筋コンクリートの近代建築による外観復元です。
中は資料館になっており、主に江戸時代の品々が展示されています。
この手の展示室にはお約束の鎧だの刀だのがあるわけですが…
紀州徳川家の一番の有名人、徳川吉宗が書いた『重陽の節句の祝儀の礼状』だの、
葵紋付きの革製陣羽織だの、
雑賀集の兜だの、
華岡清州の手術道具だの、ちょっと珍しい物が見られました。
※展示室内は撮影禁止だったので写真はありません。
天守閣は展望室になっています。
こちらは和歌山市市街地の方を見たもの。
こちらは天守曲輪を見下ろしたものです。
左手が手前から楠門と二ノ門櫓、右手奥が乾櫓です。
天守閣からはそのまま天守曲輪の回りをぐるっと1周してすべての建物の中を通れます。
途中では櫓の2階に上れたり、
大河ドラマで使われた道具が飾ってあったり…
そして出口(再び小天守にいたる手前)近くには、非常用の脱出口なのか地下へと続く【埋門】も見られました。
~~
本丸御殿跡もあるのですが…
天守曲輪とは完全に独立していて、いったん降りてまた昇らなければなりません。
そして…
せっかく昇っても、そこにあるのは給水施設。
本丸御殿は影も形もなく、敷地の中に入ることすらできません
この写真は本丸に昇る階段の最上段から柵越しに撮影。
次はいったん一番下まで降りて、周辺の遺構や施設を見学することにします。
天守曲輪のすぐ近くにある【毬と殿様】歌碑。
てんてん手鞠は殿さまに
だかれてはるばる旅をして
紀州はよい国日のひかり
山のみかんになったげな
あかいみかんになったげな
という、西條八十作の歌詞の一部(第五番)を、
八十自身が直筆したものを歌碑にしたのだそうです。
…前半と後半がつながっていない詩な気が…。
天守曲輪から表坂へむかう途中にある【七福の庭】。
並んだ大小の石を七福神に見立てたものです。
そして【表坂】。
ところどころちょっと急ですが。
一番下まで降りてきました。