杉山城 その1

杉山城について

続100名城登城2つめは、埼玉県比企郡嵐山町にある杉山城です。

杉山城は戦国時代の山城で、築城の年代や築城主ははっきりしていません。時代は室町~戦国時代、築城主は山内上杉氏か後北条氏か地元豪族の金子氏か…と様々な説がありいまだに決着していないのだそうです。
現存建築や復元建築はありませんが、郭・空堀はよく残っていて、『築城の教科書』と言われる城の全容を知ることができます。

郭間をつないでいたであろう木橋などは一切復元されておらず、道も舗装されていません。
写真ではよく判りませんが、運の悪いことに見学中にかなり強い雨に降られてしまいましたOrz
北の郭は林になっているので直接には雨粒が当たらないのですが、東や南の郭は完全に上がオープン。ずぶ濡れの見学となりました。

登城

杉山城の最寄り駅は東武東上線武蔵嵐山駅です。駅からは大手口までの道程は3km弱あります。このくらいの距離だと歩いてしまうことも多いのですが、今回は杉山城だけではなく他に菅谷館と川越も回る予定だったため、体力温存のために駅からタクシーを利用することにしました。

積善寺
タクシーで杉山城大手口に近い積善寺へ。1000円ほどでした。
自分の車で行く場合は積善寺の駐車場は利用できず、もう少し離れたところにある杉山城見学者用の駐車場に車を駐める必要があります。

タクシーを降りたら、積善寺のすぐ横にある坂を登っていくと、まもなく大手口の前に出ます。

出郭~大手口

出郭
いま立っている場所が大手口前の出郭です。建物はありませんが、斜面の上に何重にも土塁と空堀が築かれ、複雑な印象を受けます。
この写真よりもう少し手前の地点にリーフレットの入った箱があります。忘れずにゲット。

大手口
土塁と堀の間を縫うように大手口の通路が続いています。1つ目の門をくぐるとすぐ左に直角に曲がり、坂を登って2つ目の門をくぐらないと城内には入れない構造です。大手口前がかなり広いのに対して、通路の坂は人間1~2人が通れるだけの幅しかありません。

現地の案内版にあった復元想像イラストです。現状より堀が深いことがわかります(まぁ当然ですが)。

外郭

外郭
大手口を入ってすぐの郭です。写真は大手口の坂を振り返るようにして撮っています。
現状ではちょっと判りにくくなっていますが、写真右手の大手口の坂を見下ろす位置に土塁が築かれています。1つ前のイラストの通りならここにさらに土塀があり、敵に矢を射かけていたのですね。

外郭馬出郭の間の空堀の底。
本来は橋があったのでしょうが、現在はいったん空堀に降りてまた上るように階段が作られています。

馬出郭

馬出郭
ちょっと初期方向がずれてしまいました。小さな立て札がある土橋を正面にして見て下さい。
馬出郭は、周囲を空堀に囲まれた10m×5mほどの小さな郭です。
正面の土橋の先が南三の郭です。土橋の両側に空堀が伸びていますが、南三の郭の一部が手前にせり出し、土橋を渡ろうとする敵に対して横矢を掛けられる構造になっています。
左手に伸びている細い道は、後で見る井戸跡へ続いています。
右手には先ほど通った外郭との間の空堀があります。

南三の郭~南二の郭

南三の郭
50m×30mほどある大きな郭です。

南二の郭虎口
南三の郭と南二の郭の間は、食い違い虎口になっています

現地の復元想像イラストではこのようになっています。

南二の郭
南三の郭より一回り小さい郭です。南三の郭との間は土塁で、井戸郭や本郭との間は空堀で区切られています。

南二の郭から見ると、本郭は一段高くなっています。
このあたりに木橋でも渡せばすぐ本郭に行けるような気がしますが、本郭で確認されている虎口は北二の郭に接続する北虎口、東側の帯郭に接続する東虎口井戸郭に接続する井戸郭口の3つです。南二の郭から本郭へ直接渡ることは出来ず、帯郭または井戸郭を経由することになります。

井戸郭

南二の郭から井戸郭へ移動。食い違い構造にはなっていません。ごく細く短い直線通路で接続されています。

井戸郭といっても、ここに井戸があるわけではありません。
これは井戸を守るための郭で、井戸本体は南側(初期方向背後)の斜面の下にあります。
写真は井戸郭北端より本郭を向いています。 対岸は本郭の井戸郭口です。本郭と井戸郭の間は空堀で区切られていますが、このあたりに木橋があり、本郭に渡れるようになっていたようです。左手は横矢掛かりになっています。

実物の印象より復元想像イラストの方が大きく描かれているような…?

帯郭状土塁

一度南二の郭に戻り、東側の虎口から東二の郭から外郭まで続く帯郭状土塁に下りました。途中の斜路からは本郭に通じる帯郭へと上れます。

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