秋田駅を出て、久保田城まで徒歩。
駅から少し歩いて堀に到着。
堀を渡る橋の途中にババヘラ(アイスクリーム)の売店があったので、つい1つ買ってしまいました。早朝からここまで何も食べてなかったし。
橋を渡ったところ。
ここはまだ城址公園内ではない普通の道なのですが、
明日の昼からは『昼竿燈』の会場になります。
道の脇にはスコアボードなどがすでに準備されていました。
登城口のすぐ手前に、ちょっと変わった公園のようなものが…
と、近づいてみたら…
この丸めがねの人物は、戦前の名歌手・東海林太郎さん。
秋田市のご出身なんですね。
像に近づくと曲が流れるようになっていました。
この東海林太郎像から交差点を挟んですぐの位置から登っていけるようになっています。
カーブしていくこの坂の途中に松下門跡。ここから先が二ノ丸。
ここから道に沿って時計回りに歩いていくことにしました。
まもなく見られたのがこの鐘楼。
最初に作られたのは江戸時代初期ですが、
何度かの移転や改鋳を経て太平洋戦争中には鐘が供出されてしまい、
昭和22年に一度鐘が作られたものの今度は鐘楼が老朽化がひどく、
現在の物は昭和48年に再建された物だそうです。
鐘楼のすぐ近くに細い上り階段。
ここからさらに登ってみることにします。
林の中の道をクネクネ登っていたら、神社の前に出てきました。
八幡秋田神社…って、あれ、ここってもう本丸?
(登る前に地図くらい見ろよ自分…。)
これではどうも気分が乗らない(苦笑)というわけで、
ヒジョーに無駄が多いのですが一度また下に降りて表門前まで回り込んでみました。
これが本丸の正門。【表門】、【一の門】とも呼ばれています。
立派な櫓門ですが復元建築。
まぁ、こういう門をくぐらないとお城に来た!という気分が出ないのですがw
表門の階段下には番所があります。
久保田城内で唯一の現存建築です。
パンフレットによると、長坂門の開閉と警備、火災の消火を担当していた部署だそうです。
貴重な建物なのに中を覗くこともできました。
表門を本丸側から見るとこんな感じ。
表門の位置から見る本丸全景。
左寄り奧に先ほどの八幡神社、右寄り奧に佐竹氏銅像があります。
どちらも木に隠れて見えませんが。
手前の地面に3つ横1列に並んで埋め込まれている丸い石があります。
よくみるとその奧にもう1列並んでいますが、これがオリジナルの正門礎石。
正門は元と同じ場所に復元されたので、礎石の側を数m本丸内にずらして移設し見学者が見られるようになっています。
そしてこれが秋田藩最後の藩主、佐竹義堯(よしたか)の像。
大正時代に一度旧家臣たちによって像が建立されたのですが、太平洋戦争で金属供出のためなくなってしまい、秋田市政100周年記念事業としてようやく復元されたもの。
さて、では久保田城のハイライト、復元された櫓の方に向かいます。
まず本丸をつっきって【埋門跡】。
今はトイレがあるだけ…。
土塁の上へ昇って、櫓の方へ向かう道を歩いていきます。
このあたりは【多聞屋敷跡】。
そして…
見えてきました、【御隅櫓】!
本丸の北西の角にある3階建ての櫓です。
これも秋田市政100周年記念事業で復元された物。
それほど大きくはないのですが、中は博物館になっています。
では突入…。
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まず最初は、佐竹氏の歴代藩主についての解説。
肖像画があるのですが、親子孫がまったく似ていない(笑)
初代藩主は恐ろしい人物だったということで、家臣さえもまともに顔を見られなかったとか。
それが理由かは分かりませんが、初代だけまったくタッチが違います。
次に秋田地方の産業、文化など。
久保田城の全体をあらわすジオラマもありました。
そして…
ほとんどお約束ですが、最上階は展望台。
秋田市街地が一望できます。
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再び本丸散策。
こんな滝があったり、
滝を流れ落ちた水はこんな小さな川を作り、
こんな池に達しています。
本丸御殿の復元はなく、このように散策できる公園となっています。
木が多くて見通しが悪く、御隅櫓の全景が見えないのが難点。
ベンチで昼寝している人がいたり、水のそばで遊んでいる人がいたり、
なんとものどかな風景。
本丸から二ノ丸へ降りる裏門跡。
手前の四角い孔のあいた石は櫓門の礎石です。
いまは緩やかな幅の広い階段があるのみ。
二ノ丸にある胡月池。
大賀ハス(古代ハス)が栽培されています。
…残念ながらいまは咲いていませんが。
そしてこれが現在の二ノ丸全景。
洋風の公園になっています。
なぜかこのような洋風の男性の像があったり。
写真には写っていませんが、近くには土産物店もあります。
二ノ丸には【佐竹資料館】があります。
もちろん中も見学しました。
それほど大きくはない展示室が2つだけの資料館ですが、
佐竹氏の武具・甲冑だの絵画や文書だの当時の歴史の解説だの一通り揃っています。
ここで興味深かったのは旗印についての解説。
あれは単なる敵味方識別や陣の目印ではなかったんですね。
目を近づけてよくみると縫い目が『☆』型だったり『呪』という字の形になっていたり。
これ自体が呪術的な意味をもつものだったとは…。
回る順番が前後しますが、一番最初に登った階段の近くに【宣庵】という茶室があります。
ちょうど竿燈のリンク企画で茶会をやっていたようです。
邪魔しないように周囲を見学。
手水鉢に使われている見事な舟形の石。
写真だとわかりにくいですが、長さ3mもある大きな物です。
これは加藤清正が朝鮮半島から持ち帰り、
大阪城内にあったものをその後石田三成の計らいで佐竹家に贈られたと伝えられています。
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というわけで久保田城(秋田城)・千秋公園はおしまい。
ここから、夜の竿燈祭りにむかって気分を盛り上げていきます(笑)