人吉城 1

日本100名城、最後に登城することになったのは、熊本県南部にある人吉城です。

三の丸~本丸平面図(現地・二の丸案内板)

人吉城について

歴史

人吉城は、鎌倉時代前期の元久2年(1205年)、肥後国人吉荘の地頭に任ぜられた相良長賴さがら ながよりが築いたのがはじまりです。当時肥後国人吉荘を支配していたのは平頼盛の家臣・矢瀬主馬佑でしたが、長賴は主馬佑を誘い出して殺害、主馬佑の城を奪い、拡張して人吉城の基礎を作りました。

相良氏はその後、18代当主の相良義陽さがら よしひが島津氏と争いますが天正9年(1581年)に降伏・臣従して滅亡を逃れ、さらに天正15年(1587年)には20代当主の相良順房さがら よりふさが九州征伐の豊臣秀吉に破れましたが、相良家家臣の深水宗方が所領安堵を哀願したことで城と領地を安堵されます。

さらに江戸時代に入り、関ヶ原の合戦時には当初西軍(石田方)についていました。といっても直接関ケ原の合戦に参加していたわけではなく、西軍に呼応する形で伏見城を攻めていたのですが、関ケ原本戦で西軍が敗れると東軍(徳川方)に鞍替えして戦功を上げ、戦後はまた城と領地を安堵されています。

何度も負けたのに城と領地をずっと保ち続けているという、なんとも運の良い家系です。以後、江戸時代が終わるまで、人吉城は相良氏の居城でした。

鎌倉時代に築かれた城ですが、戦国時代の天正年間~江戸時代の寛永16年(1639年)にわたり断続的に大改修が行われ、近代的な城郭に生まれ変わりました。その後享和2年(1802年)、文久2年(1862年)の2度の火災で城内の建物は全焼しました。

その後、明治時代の廃藩置県により城は廃城。西南戦争では、江戸時代の2度の火災の後に再建された建物も全焼しました。

平成になって、隅櫓と大手門脇田門櫓、続塀が復元されました。

構造

北を流れる球磨川と西を流れる胸川を堀とし、東側と南側は山の急斜面によってまもられた平山城です。山上に本丸を置き、西側から北側にかけて二の丸、さらにその西側と北側に三の丸を配置した梯郭式の縄張りになっています。

見学ガイド

2022年3月現在、令和2年(2020年)7月に発生した豪雨により被害を受け、城内のかなりの部分が復旧工事などのため立ち入り禁止になっています。見学可能なのは、相良神社境内から三の丸~二の丸~本丸と順に登るルート1つのみで、球磨川沿いにある遺構には近づくことが出来ません。

※歴史広場に掲示されている地図には相良神社境内から球磨川沿いの通路に抜けられるように描かれているのですが、実際にそこまで行くと通行止めのロープが張られています。下の立ち入り規制区域マップの方が正しいです。

人吉城立ち入り規制区域マップ(人吉市Webサイト)

西側にある歴史公園も芝生養生のため立ち入り出来るのは中央の通路1本のみで、人吉城歴史館は休館中です。ただし続100名城スタンプは押せます。

また、人吉駅に乗り入れる2路線・JR肥薩線の八代~吉松駅間とくま川線がともに豪雨以来不通となっているため、人吉へは鉄道によるアクセスが出来ません。公共交通機関で人吉にアクセスするには、熊本・鹿児島・宮崎などから高速バスを利用するしかありません。

いざ登城

今回は熊本市の桜町バスターミナルから高速バスで人吉ICに向かい、そこで路線バスに乗り換えて人吉城へ至るルートを使いました。

晴れの予報だったのですが、人吉に近づくにつれ濃い霧が…

人吉インターチェンジのバス停はこんな感じ。左に停車しているのは人吉市街の路線バス、右手の屋根が高速バスのバス停です。乗り換えのために歩く距離はほんの数mです。…ただしバスの接続はイマイチです。事前によく時刻表を調べて下さい。

路線バスはここが始発、高速バスは鹿児島方面・熊本方面・宮崎方面のすべてがここに停車します。行き先によってバス停の位置が違ったりはしません。

バス停内にトイレ、すぐ近くに飲料自販機があります。

水ノ手門周辺

人吉城最寄りバス停は『二日町にのまち』です。二日町バス停から100mほどで水ノ手橋、そして水ノ手橋を渡れば人吉城です。写真は二日町側からですが、対岸に人吉城の水ノ手門付近が見えています。

水ノ手橋より人吉城の北東部を眺めています。下を流れるのが球磨川、右手に水ノ手門、この位置からは見えませんが奥の山の上に本丸があります。石垣の上は桜並木になっていますが、残念ながら2022年3月現在、球磨川沿いの道は通行できません。

水ノ手門に近づいてきました。川辺に出ることができるこの門の下には、かつて船着き場があり、船で運ばれてきた年貢米などを搬入するのに使われていたとされています。

水ノ手門跡を含む球磨川沿いのエリアは復旧工事のため立ち入り禁止になっています。今回は橋の上から眺めるだけです。

水ノ手橋を渡ってすぐの石垣。城内には入れませんが車道からこの特徴的な石垣を見ることができます。石垣の頂部で張り出している板状の部分を『はね出し』といい、ねずみ返しと同じ原理で敵が石垣を登って城内に侵入するのを防ぐことが出来ます。

幕末に導入された型式だそうですが、旧来の石垣の上に採用されているのは珍しく、これほど大規模なものは人吉城でしか見られないそうです。

この土塀は復元モノだと思いますが、瓦には城主相良家の家紋である相良梅鉢が見えます。

相良神社

2022年3月現在は補修工事で川沿いの区域が立ち入り禁止となっており、水ノ手門付近からは城内に入れません。城内に入るには水ノ手橋を渡った後はそのまましばらく車道に沿って直進し、相良神社を経由しなければなりません。

相良神社は創建は明治時代で、相良家の歴代当主が祀られています。相良神社があるのは人吉城の御館跡で、境内では人吉城・相良家に縁のものが見られます。

写真は神社南側(球磨川と反対側)にある御館御門橋みたちごもんばし。こちら側が御館の正面で、橋を渡ったところに本御門がありました。本御門の横には番所があり、出入りする者をを監視ししていました。
築城当初この場所にあったのは木造橋でしたが、明和3年(1766年)に石造りの橋に作り替えられました。熊本県重要文化財です。

御館跡(神社)の南側には、堀が残っています。奥に見える橋が御館御門橋です。この堀は御館跡(神社)の南辺にそった100mにも満たない長さしかないのですが、廃城後に埋め立てられてこうなったのではなく、もともとこの範囲だけにしかなかったようです。

相良神社境内には桜が多数植えられています。僕が訪れたときはちょうど見頃でした。

※実は最初に相良神社に来たときにはかなり雲が厚かったのですが、本丸まで往復する間に晴れたので写真を撮り直しました…

神社本殿に向かって右手には、御館時代から残る庭園があります。御館が建てられたのが天和3年(1683年)、その頃に造られた庭園がいまもここに残っているのですね…。中島のある大きな池、そこにかかる石橋、滝石などが配された回遊式庭園です。

池を覗いていたら大量のコイが集まってきたのですが、エサが貰えると思ったのかな…

相良神社境内には謎の石が展示されています。これは力石といい、城内で火災があったとき、駆けつけた家臣・犬童三之丞が主君を救うため大手門を破るのに使った石だと言われています。

相良神社西側にも小振りな門があります。城時代からの遺構なのかはよく判りません…某雑誌で観た人吉城復元模型の写真ではこのあたりに開口部はなかったように思うので、明治以降に作られたものかもしれません。

門の向こうに見えている小屋は、2022年3月現在、人吉城周辺で唯一使用できる公衆トイレです。本来は城内に他に2箇所トイレがあるのですが、どちらも立ち入り禁止区域になってしまっています。

三の丸

それでは三の丸へ向かいます。2022年3月現在、球磨川沿いの御下門付近が立ち入り禁止となっているため、三の丸~本丸へは相良神社境内からしか行けません。

この写真の場所が上り口ですが…石垣は古いものに見えますが、階段は作られた時代が違うような気がしますね…。

三の丸西側ですが、階段も石垣?もあきらかに現代のものですね…。本記事冒頭の平面図にもこの道は描かれていないので、元はこちら側には三の丸に登れるルートはなかったようです。

三の丸に到着。登り切ったところからおおまかに東側を向いて撮影しています。三の丸は二段に分かれており、こちらは下の段です。本記事冒頭の平面図では左上、於津神社のある領域です。右手の石垣の上が三の丸の上の段です(これ以降、下段・上段と呼びます)。

中ほどでVRパノラマ撮影しました。東屋の近くに礎石が並んでいるのが、図に描かれている於津神社でしょうか。三の丸下段には於津神社以外の建物はなかったようです。また周囲には石垣・土塀は築かれず、自然の急斜面と竹を植えた垣(竹茂かり垣)によって防衛されていました。この地は火山灰などが積もったシラス台地であり、強度不足であったためだそうです。

平面図では東に進むと二の丸へ登る中の御門へ行けるはずなのですが、ロープが張られていて直接行けなくなっていました。三の丸下段の東部には御下門へ下る階段も接続しているのですが、そちらへも行けません。

西端(平面図左端)の細い通路を通って三の丸上段に向かいます。右手下には桜が咲いており、天気が良かったらさぞ見栄えしただろうと思います。

三の丸上段。合成パノラマ写真なのでちょっと歪んでしまいました。奥に見える石垣の上、林のようになっている部分が二の丸です。平面図によると、この写真の左手奥の位置にはかつて塩蔵があったようです。三の丸上段には塩蔵と中ノ御門の門櫓以外には建物がなく、広い空間になっていたようです。

三の丸の上下段を結ぶ階段もあるのですが、2022年3月現在は途中が通行止めになっています。

ネットで囲まれているあたりが二の丸上段の井戸跡…だと思うのですが、草が多すぎて近寄ってもよく見えず。

三の丸から二の丸へ入る、中ノ御門です。今回見学した範囲では最も大きな門跡です。平面図によると石垣の上には櫓があったようです。

この写真の位置から左手に下ると御下門に至りますが、2022年3月現在は通行止めです。VR写真の方ではロープが張られていのが見えます。

次は二の丸へ。

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