伊予大洲城 その1

旅行3日目の午後は、100名城82番、登城92城目の伊予大洲城です。

伊予大洲城について

歴史

鎌倉時代末期の元弘元年(1331年)、守護・宇都宮豊房が築城したのが伊予大洲城の始まりと言われています。その後長く伊予は宇都宮氏の支配下にありましたが、家臣の裏切りによって大洲城を追われ、さらに天正13年(1585年)に豊臣秀吉の四国攻めによって攻め落とされ、その後は豊臣秀吉の家臣・戸田勝隆が城主となります。

文禄4年(1595年)に築城の名手・藤堂高虎が近世城郭として整備を開始、慶長14年(1609年)に転封された脇坂安治もその後を引き継ぎ、この時代に天守などが建築されました。元和3年(1617年)に加藤貞泰が城主となり、その後は明治維新まで加藤氏の居城でした。

城内の多くの櫓は安政4年(1857年)の地震で破損し、現存するものでは安政元年(1859年)に台所櫓が、万延元年(1860年)に高欄櫓が再建されています。明治維新まであと10年もないというタイミングですが現存建築といっていいんですよね…?
また苧綿櫓はそれ以前に破損し、天保14年(1843年)に再建されています。

構造と現状

北~東を流れる肱川ひじかわを背後とした丘の上に本丸を置き、中腹に二の丸、その麓の平野に三の丸、と曲輪を配置、二重の堀で守った梯郭式の平山城です。

本丸に2つの櫓(台所櫓・高欄櫓)が残り、明治21年(1888年)に解体された天守が当時の工法で平成16年(2004年)に復元されています。また城山からは離れますが、大洲市民会館裏の肱川堤防に苧綿櫓、大洲高校グラウンド脇に三之丸南隅櫓が残っています。

いざ登城

村上水軍博物館の見学を終えた後、一番近い100名城は今治城なのですが、後の日程での移動を考えて午後は伊予大洲城の見学に向かうことにしました。

JRの特急を乗り継いで移動し、14時頃に伊予大洲駅に到着。駅からはタクシーを利用して伊予大洲城へ。2kmほどなので1,000円もしません。

タクシーを降りた場所で撮影。駅からタクシーを利用すると本丸石垣のすぐ下まで行くことができます。

石垣の下から天守と高欄櫓を。

本丸

本丸へ続く坂を登っていきます。かつてこの場所には、本丸の入口である暗がり門くらがりもんがありました。大型の櫓が門の曲がり角も含めて覆い被さり、下が暗かったことからこの名がついたそうです。絵図や模型ではよく判らなかったのですが。

本丸には高欄櫓、天守、台所櫓があります。3つの櫓は固まって建っていて、廊下で接続されています。

前の写真の右手前にあったのが台所櫓だいどころやぐらです。安政4年(1857年)の地震で破損し、安政元年(1859年)に再建されました。国の重要文化財に指定されています。
本丸の建物群の中を見学する場合の出入り口はこちらです。

天守。台所櫓・高欄櫓と接続された四層の複合連結式層塔型天守です。平成16年(2004年)完成の復元建築ですが、残っていた図面などから可能な限りオリジナルに忠実に建てられたものです。外から直接中に入ることはできず、台所櫓内から通路を通って入ります。

高欄櫓こうらんやぐら。2階部分に高欄(ベランダの手すりのような構造)があるのが特徴です。
台所櫓と同じく安政4年(1857年)の地震で破損し、万延元年(1860年)に再建されました。国の重要文化財に指定されています。

それにしても、なんでそこに木を植えちゃったかなぁ…
本丸側からはどうやっても高欄櫓が撮れません。真冬、葉が全部落ちた頃に来れば良いのかな。

とはいえ、実は高欄があるのは本丸外側を向いた2面だけなので、本丸の外(石垣の下)から見上げて高欄を見学します。

台所櫓

1階

櫓内の見学には、まず台所櫓から入ります。台所櫓は現存建築ですが、玄関と受け付け、小規模な購買コーナーとして使われています。

コースの最初、台所櫓1階に飾ってあるこの武具は、歴史的なものではなく記念写真用のコスプレグッズ。

お約束、天守の模型も。

台所櫓1階は壁で区切られ、奥の部分から天守に廊下が続いています。
階段がありますが2階には上がれません。

廊下

天守へ続く廊下には、この築城ジオラマとビデオ上映コーナーがあります。

天守

伊予大洲城の天守は平成16年(2004年)に完成したばかり。非常に綺麗です。

1階

天守1階は、中央の部屋と、その周りを囲む廊下からなっています。

1階内部。せっかくのVR写真なので上を見上げてみて下さい。
普通、櫓の階段部分の床/天井の開口部は最小限の大きさになっているのですが(だから当時より体格の良い現代人は気をつけないと頭をぶつけたりしがち)、この大洲城の天守では1階から2階に上る部分が吹き抜け状に広く開いています。階段の傾斜も緩め、幅も広めです。

これが天守の心柱のようです。

1階に展示されている鎧(紺糸威桶側二枚胴具足、黒漆塗胸薫韋綴二枚胴具足)はレプリカで、オリジナルは愛媛県立博物館所蔵です。

2階へ移動…の前に、階段の踊り場から撮影。吹き抜け構造や心柱など、大洲城天守の特徴的な構造がいろいろ観察できます。

2階

天守2階は、吹き抜け部分のため床面積が小さいです。

この吹き抜けは、天守の内部構造の参考資料となった『天守雛形』でこの部分に梁がなかったことから存在が判りました。

この窓は、内側から見ると四角形の格子窓ですが、外から見ると上端が尖った釣り鐘型をしています。このような窓を火灯窓かとうまどといいます。

2階外周には、伊予大洲城の歴史や周囲の様子などについて解説するパネル展示があります。

1~2階の階段に較べて、2階から3階へ上る階段は急傾斜になっています。というわけでここから先はスリッパを脱いで行くようにと注意書きが。
階段脇の青いケースがスリッパ入れです。

長くなってきたのでここで記事を分けます。

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