続日本100名城、登城46城目は、新潟県妙高市の鮫ヶ尾城(133番)です。

鮫ヶ尾城について
歴史
鮫ヶ尾城の築城は上杉氏によるものですが、時期はおおまかに1500年代としか判っていません。上杉謙信が武田信玄と川中島合戦を繰り広げていた頃は、北信濃に進出した武田家に対抗するための重要な拠点であったと言われています。
鮫ヶ尾城は、天正7年(1579年)に勃発した上杉謙信の後継者争いである御館の乱において、謙信の養子であった上杉景虎の自刃の地となったことで有名です。このときの鮫ヶ尾城城主の堀江宗親は景虎方の武将でしたが、実は景勝方の安田顕元と内通しており、景虎入城後に二ノ丸に火を放った後に城から逃れたといわれています。
構造
標高185mの山上に広い曲輪が並べた山城です。南に延びる尾根上にもいくつかの曲輪、細い東側の尾根には多数の堀切があり、防衛力と高めています。
見学ガイド
登城路はいくつかありますが、斐太歴史の里から東側の尾根伝いに上る経路が定番のようです。公共交通機関で行く場合、残念ながら路線バスはなく、タクシーを予約するか、妙高はねうまラインの北新井駅から歩くしかないようです。
東登城路は南登城路よりは傾斜がゆるやかなようですが、それでも完全な山道なのでそれなりの体力は必要です。特に履き物は山道を歩きやすいものを用意することが必須です。また熊目撃情報があるため、最低でも熊鈴、できれば熊スプレーを用意の上で挑んだ方が良いと思います。
いざ登城
北新井駅

鮫ヶ尾城へ公共交通機関で行く場合、最寄り駅はえちごトキめき鉄道 妙高はねうまラインの北新井駅です。ホーム1つだけの小さな無人駅です。

目指す鮫ヶ尾城は写真の奥にある山の上です。駅前からバスもなくタクシーも捕まえられそうにないので歩くしかありません。幸い、登城口となる斐太歴史の里のすぐ近くまで平地が続き、ほとんど上り下りがありません。それでも40分ほどかかりましたが…。
斐太歴史の里 総合案内所

斐太歴史の里にたどりついてみたら、熊注意の掲示が出ています。今年(2025年)4月に登城路近くで熊が目撃されたとのことです。先月の鳥越城と違って完全な山道を長距離歩く必要があるので危険度は高いのに、実は熊スプレーが手配できず装備は熊鈴のみです。案内所で情報をしっかり聞かねば、場合によっては山に入るのを諦めてスタンプだけもらって帰るのも仕方ないか、と思いつつ先に進みます。

総合案内所に到着。上の写真はVRカメラからの切り出しなのでかなり画像が湾曲しています。予想よりかなり広く、椅子や机があるのでゆっくり休憩することができます。写真には写っていませんが飲料自販機もあります。続日本100名城スタンプや御城印の購入もここで。
熊について情報確認。ここ数ヶ月熊の目撃情報はなく、今日は釣り客や登山者も多数山に入っているので比較的安全ではないかという話なので、本丸までの登城を決定。登城路の案内図をもらいました。

総合案内所はこの地図の下、紙面外です。東登城路(図の中央をほぼまっすぐ上に向かっている道)で登城し、城中枢部を見学した後は北登城路(図の中程で右へ向かっている道)で戻ってくるという、往路と復路でまったく違う道を通るのが推奨経路とのこと。

登城開始です。東登城路は、まず総合案内所前広場から湖に向かって下っていきます。この池の周りに釣り客多数。湖をぐるっと回っていくと本格的に登山開始です。
登城路、多数の堀切
斐太遺跡

登り始めて間もなく、広い斜面に出ます。鮫ヶ尾城の遺構が見られるのはもう少し先からなのですが、実はここの斜面では多数の竪穴式住居跡が発見されています。…まぁおそらく埋め戻してあるのか、いまぱっと見てもどこがその跡なのかはちょっと判らないのですが…。

竪穴式住居跡の位置はこの図の通り。先の写真はだいたいこの図の『現在位置』の場所で、斜面上を向かって撮影しています。
連続した堀切
大堀切6

遺跡の斜面を抜けたあたりで最初の堀切を観ることができます。登城路は水平に続いていますが、左右の斜面がえぐられた形状になっているのが判るでしょうか?
大堀切5

ここも左右に堀切が伸びています。右側はむしろ道のようにも見えますが。
堀切8

ここも左手の下り急斜面側が掘切を観察しやすいですね。
東一ノ丸跡

総合案内所を出発して約30分、広い場所に出てきました。ここはE170曲輪、通称・東一ノ丸跡です。座れそうな椅子…の残骸?があったのでここでちょっと休憩します。実は2025年4月に熊が目撃されたのはこの東一ノ丸付近なのだそうです。それ以来約半年目撃されていないようですし、目撃例があるから城址の中でここが特別危険というわけでもないのですが、まぁ気休めに、座っても熊鈴を鳴らし続けていました。
この東一ノ丸では、鮫ヶ尾城としての遺構の下に弥生時代の墳丘墓が発見されているそうです。
堀切6

僕が見た感じでは、今回の登城路ではこの堀切が一番深いですね。そして堀切を超えた先の斜面の傾斜も今回の登城路でもっとも急で、登るのが結構大変です。…どうも『堀切』と『大堀切』という言葉の使い分けは幅や深さではなく長さのようですね。
大堀切1

ここを超えると本丸まではすぐです。
中心部
二ノ丸跡

N175曲輪、通称・二ノ丸跡です。ここまでの山道の細さ・傾斜の急さが嘘のように感じられる、平坦で広いスペースです。上杉謙信亡き後の跡目争い・御館の乱において上杉景虎が鮫ヶ尾城に逃げ込んだ際、寝返り工作に応じた鮫ヶ尾城城主の堀江宗親は二ノ丸に火を放って城から退去したといわれています。その後の上杉景勝方の総攻撃によって城は落城・景虎は自刃するのですが、この戦いの重要なターニングポイントの舞台がここというわけですね。
その放火を裏付けるように、この二ノ丸からは焼けた陶磁器などが発見されているそうです。
…実は二ノ丸跡から三ノ丸跡へ続く分岐があったはずなのですが、看板を見落としたらしく周り損ねました…。
本丸跡


総合案内所を出発して1時間弱、とうとう最高地点(標高185m)のN185曲輪、通称・本丸跡へたどりつきました。本丸にはしっかりしたあずまやが建てられ、休憩できるようになっています。
『本丸』といっても、ここが本丸であると確定するような歴史資料や出土品があるわけではなく、単に最も標高が高い場所にある曲輪であることから仮に本丸とされているだけのようです。とはいえ、さすが最高地点だけあって眺望は非常に良く、城のある山の北側から東側にかけての平野が一望できます。鮫ヶ尾城の北方には春日山城があり、方角を考えると上のVR写真に写っている範囲にも見えていると思います(さすがに城跡は判別できませんが)。
米倉跡

本丸に隣接するN182曲輪、通称・米倉跡です。

本丸跡と米倉跡の間は、大堀切2で区切られています。写真右手が本丸跡、左手が米倉跡です。
大堀切2は写真の通りかなり深い堀切で、長さもかなりあります。堀切の底は下山路としても使え、ここを下ると北登城路に接続します。
では下山
帰りは案内通り北登城路へ。こちらは堀切跡などはないようで、ひたすら普通の山道を下っていくだけです。

北登城路でちょっと変わったことと言えば、上信越自動車道の高架の下をくぐるようになってることでしょうか。当然、東登城路もこの道路と交差しているのですが、そちらではトンネルになっています(それだけ登城路の標高が違うということですね)。
ここを過ぎれば総合案内所まではあと少しです。

往路とは別の方向から総合案内所へ。総合案内所裏手にはアスレチック施設があるんですね。本丸から総合案内所までの帰り道には40分ほどかかりました。往路に較べて復路は道がなだらか・下り・撮影や休憩のために立ち止まることがなかったので所要時間が15分も短くて済みました。

総合案内所で御城印を購入して、次の電車に間に合うギリギリまで休憩しました。さすがに疲れました…が、この後また駅まで40分歩かなきゃいけないんですよね(笑
まぁ今回はタクシーを使わなかったので、先月の増山城よりだいぶ予算が節約できましたが…。
データ
| 関連サイト | 妙高市公式サイト内の鮫ヶ尾城紹介ページ |
| 地図 | GoogleMap |
| スタンプ | 斐太歴史の里総合案内所 ※総合案内所休業期間は 神の宮温泉かわら亭 |
| アクセス | 妙高はねうまライン 北新井駅より斐太歴史の里まで2.8km(徒歩40分) ※ネット上には『くびき野バス』が近くを通るという記述が見られますが、 当該路線は令和4年に廃止されたそうです ※上越妙高駅からタクシーで行ってしまうのが早くて簡単かも |
| 営業時間 | 総合案内所は 4~9月:9:00~17:00、10月:~16:00、11月:~15:00 |
| 休業日 | 冬期(11月下旬~4月初旬)※具体的な日付は公式サイト参照 |
| 入場料 | 無料 |
| 備考 | 斐太歴史の里に駐車場あり 斐太歴史の里総合案内所にシャワートイレ、飲料自販機、御城印販売あり |

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