富山城

続日本100名城、登城44城目は、富山県富山市の富山城(134番)です。

富山城について

歴史

室町時代、越中国(いまの富山県あたり)の守護であった畠山氏は、自らは越中に在住せず、越中国東部に椎名氏、西部に神保氏という守護代をおいて統治させていました。この椎名氏・神保氏が戦国時代になって大名化して対立、神保氏が椎名氏に対抗するために家臣の水越勝重に命じて築城したのが富山城の始まりと言われています(異説あり)。

神保氏が衰退し一時一向一揆勢により城が占拠されますが、上杉謙信が一揆勢を討って富山城を支配下に置きます。しかし天正6年(1578年)に謙信が死去した後に織田信長が越中を制圧、配下の佐々成政が富山城に配されます。成政の時代に富山城は大規模改修されて近世城郭の体裁を整えました。

信長の死後に成政は豊臣秀吉と対立しましたが、天正13年(1585年)に10万の秀吉軍に城を包囲されて降伏、越中は前田利家のものとなります。この時点で富山城は一度取り壊されましたが、慶長10年(1605年)に利家の子・利長が隠居城とするために富山城を大改修します。しかし慶長14年(1609年)に火災が発生して主要な建物を焼失、利長は高岡城へと移ってしまいます。

利長が去った後、富山城は前田家家臣の津田義忠が城代として入城していましたが、寛永16年(1639年)に前田家3台目の利常が幕府の許可を得、次男の利次に城を与えて富山藩/越中前田氏として独立させます。それ以降は幕末までの13代にわって富山城は越中前田氏の居城でした。

明治時代になり富山城は廃城となりますが、明治32年(1899年)に火災で主要な建物が焼失、残った物も解体されてしまいました。

構造

富山城は、北を神通川(現在は神通川の流路が西側に整備され、富山城北を流れる川は松川と呼ばれています)・東をいたち川(神通川の支流)で守られた平地に築かれた平城です。北側の神通川を天然の外堀とし、さらにもう1つの堀を挟んで本丸を築き、東西には出丸、南には二の丸を配して本丸を守りました。各曲輪は完全に水堀で囲まれ、その外側の東・南・西を囲むように『凹』の形の三ノ丸が築かれた梯郭式の城でした。三ノ丸のさらに外側も水堀で囲まれていました。

見学ガイド

現在は本丸のみが城址公園として整備されています。水堀は南側にのみ残り、他はすべて埋め立てられています。二の丸から本丸に入る大手であった鉄門の多門櫓跡には模擬天守が築かれ、中は博物館となっています。また、城内には富山市佐藤記念美術館もあります。

富山市中心部(富山市市役所のすぐ近く)にあるため交通の便は良いです。富山駅からは路面電車やバスで容易にアクセスできます。徒歩でも駅から15分程度です。

いざ登城

今回は富山市役所のすぐ近くのホテルに宿泊していたため、富山城もホテルを出て数分で到着です。富山駅の方から来る場合はバスで『富山市役所前』、または路面電車(富山地方鉄道)の『丸の内』で下車すると近いです。富山市役所前は城址の北東側、丸の内は城址の南西側にあたります。

城のすぐ外

城址北東にある松川茶屋。『茶屋』の名の通り喫茶室としても営業していますが、松川遊覧船の乗り場でもあります。ただし2025年10月現在は、川岸で能登半島地震からの復旧工事が行われているため遊覧船は運休しています。

まちなか観光案内所。富山城とは直接関係ない施設ですが、千歳御門のすぐ近くに観光案内所があります。僕が行ったのは朝8時なのでまだ営業開始していませんでした…。

本丸

それでは早速本丸へ突入します。

本丸東側

搦手門跡

市役所に近い北東角あたりに、このような石垣の切れ目があります。昔の図面を見ると搦手門の跡のようです。図面によると枡形、というか石垣の外側で鈎状に折れ曲がる道筋になっているのですが、現状も図面と同じような曲がった道筋に見えます。

現在は、ここを入ってすぐに富山市佐藤記念美術館があります。

千歳御門

千歳御門は、総檜造り・桁行6mの大型の薬医門です。富山藩10代藩主の前田俊保が嘉永2年(1849年)に隠居所として建築した千歳御殿の正門で、本来は東出丸のさらに東側の曲輪にありました。明治時代に個人所有となりましたが、その後富山市が寄贈を受けて現在の位置に移築されました。富山城で唯一の現存建築です。

もとはこの位置には門はありませんでした。門の両側の石垣も平成時代に整備された物で、本来はこのあたりは石垣ではなく土塁だったそうです(もともと石垣があったのは搦手門付近と鉄御門付近だけ)。

石垣の石

千歳御門近くに、このように石が並べられている場所があります。これらの石は富山城の石垣のものだそうです。

櫓跡

案内板もなにもないのですが櫓台のようです。昔の図面ではこのあたりに南東隅櫓があったようなのですが、『矢倉』と書かれているだけで石垣は描かれていないんですよね…

本丸南側(天守付近)

天守

本来は富山城には天守がなかったとされていますが、昭和29年(1954年)に富山産業大博覧会が開催されたのを記念して模擬天守が建てられました。彦根城や犬山城を外観上の参考にした鉄筋コンクリート建築で、内部は郷土博物館になっています。平成期に老朽化からいったんは取り壊しが検討されたのですが、平成15~17年(2003~2005年)に耐震補強工事を実施、展示内容もリニューアルして現在も存続しています。

と、ここで大失敗。休館日は年末年始だけかと思っていたら、今日は休館日でした…よって中には入れませんでした…(涙

続日本100名城スタンプは、佐藤記念美術館で無事ゲットできたんですが…。富山市内では他にガラス美術館や富山県美術館も見損ねたし、いずれまた足を運ばねば…。
…まぁ10年くらい前に一度入ったことはあるのですけどね。

鉄御門

天守の裏側に回ると、枡形状の通路があります。

見事な鏡石(石垣の中にある巨石)を見ながらそのまま進むと、

堀を渡る橋につながり、そのまま本丸から出てしまいます。

ここである程度城を見慣れた人なら激しく突っ込みを入れたくなるでしょう。

『天守のすぐ下をすり抜ける門なんかあるか!防衛ポリシーどうなっているんだ!』

まぁそれもそのはず。実はここは鉄御門くろがねごもんという本丸の大手にあたる門の跡で、現在模擬天守が建てられているのはもとは鉄御門を固める多門櫓があった場所なのです。

この写真を撮影している橋も、もともと二の丸と本丸を結ぶ土橋があった場所です。橋自体は近代化されていると思いますが。

北側

富山市佐藤記念美術館

地元の有力者であった佐藤家から寄贈された茶道具や陶磁器、日本画などを所蔵・展示している美術館です。天守の閉館日にはこちらで続日本100名城のスタンプをゲットできます。鉄筋コンクリートの現代建築ですが、城址内で庭園とも景観を合わせるためか、城の櫓風の外観になっています。

館内は撮影禁止なので写真は掲載できません(独立記事も作りません)が、2階には書院造りの座敷と茶室が移設されているというなかなか面白い展示でした。

本丸亭

城の遺構というわけではありませんが、茶室などを利用できるようです。

前田正甫公像

前田正甫まえだ まさとし公像。越中富山藩2代藩主で、製薬業を奨励して『富山の売薬』の基礎を固めた人物だそうです。

西側

本丸西側は石垣や塀もなくすぐ車道になっていて、ほとんど城址公園という雰囲気がありません。路面電車の丸の内停留所が本丸南西にありますので、駅から路面電車利用で登城した場合はこちら側から入城することになります。

戦災復興記念像

昭和49年(1974年)建立の天女の像です。

庭園

天守と佐藤記念美術館の間、かつて本丸御殿があった位置は、現在は庭園になっています。意外に水の透明度が高く水底がくっきり見えます。

富山市役所

最後に、城址公園のすぐ近くにある富山市役所の展望棟に登ってみます。

富山市役所には地上70mの展望棟があり、富山城を上から眺めることができます。

展望室はシンプルな作りで、観光地のような売店やコイン式双眼鏡などはありません。

富山城方面を見下ろすとこんな感じ。意外に木が多く、庭園はまったく見えず佐藤記念美術館も屋根以外は隠れてしまっていますが、天守はしっかり見えます。

データ

富山城址公園
関連サイト富山市観光協会による紹介ページ
地図GoogleMap
アクセス富山駅前より地鉄バス、『富山市役所前』下車
富山駅前より富山地方鉄道、『丸の内』または『国際会議場前』下車
開館時間・休館日見学随時
入場料無料
富山市郷土博物館(天守)
関連サイト富山市郷土博物館・富山市佐藤記念美術館公式サイト
開館時間9:00~17:00
休館日年末年始、展示替え
入場料大人210円、高校生以下無料
佐藤記念美術館
関連サイト富山市郷土博物館・富山市佐藤記念美術館公式サイト
開館時間9:00~17:00
休館日年末年始、展示替え
入場料大人210円、高校生以下無料
富山市役所展望塔
関連サイト富山市役所公式サイト内の展望棟紹介ページ
開館時間4~10月
平日:9:00~21:00、土日祝:10:00~21:00
11~3月
平日:9:00~18:00、土日祝:10:00~18:00
休館日年末年始
入場料無料

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