首里城 その1

旅行最終日は、最初の便で石垣空港から那覇空港へ移動。羽田行きの出発まで10時間の空き。その間に那覇市街地を見て回ります。荷物は空港に預けたままなので身軽。今回の旅行ではコインロッカーをまったく使わずに済みました。

守礼門~漏刻門

まずは空港からゆいレールで首里城まで移動。有名な守礼門は、ゆいレールの駅からだと遠い側にあるので、いったん首里城公園を横を完全に通り過ぎて、この守礼門から『出て』この写真を撮ることになります。

園比屋武御嶽石門そのひゃんうたきいしもんは守礼門のすぐ近く。これ単体で国の指定重要文化財、世界遺産。

歓会門かんかいもん。『歓会』とは『歓迎』の意味です。
首里城を囲む二重の城郭のうち、外郭の最初の門です。門の両側には魔除けのため一対のシーサーが設置されています。
前に来たときは工事中で上の櫓部分に足場が組まれていました…今回初めてちゃんと姿が見えました。

瑞泉門ずいせんもん。『瑞泉』とは『立派な泉』の意味です。門の手前、右手にある龍樋りゅうひとよばれる湧水に因んで名付けられました。
なぜか見学順路中いちばんの記念写真スポットになっていました。

これが龍樋りゅうひです。龍の口から水が流れています。王宮の飲料水として使われていました。龍の形の彫刻は500年前に中国からもたらされたものだそうです。

漏刻門ろうこくもん。『漏刻』とは水時計のことで、門櫓に設置した水槽から水が漏れる量で時間を計っていたのだそうです。
ここも前に来たときは完全にカバーに覆われていました…。

広福門前広場

広福門こうふくもん前の広場。
いま入ってきた漏刻門の他、日影台にちえいだい万国津梁の鐘ばんこくしんりょうのかねの供屋などがあります。

万国津梁の鐘ばんこくしんりょうのかね。首里城正殿にあったとされていますが、場所が不明なため暫定的にここに設置されているのだそうです。実はここにあるのはレプリカで、実物は沖縄県立博物館に収蔵されています。ちなみに『万国津梁』とは『世界の架け橋』という意味です。

日影台にちえいだい
日時計です。正午前後の時刻をはかるのに使われました。
ここで計測体験が行われたこともあるそうです。

広福門こうふくもん。『広福』とは『福を行き渡らせる』という意味だそうです。
かつてこの門の右側の建物内には寺社座じしゃざ(神社仏閣を管理する部署)、左側の建物には大与座おおくみざ(士族の財産をめぐる争いを調停する部署)がありました。別名『長御門ながうじょう』。

門を入った先、この建物の反対側の面に有料エリアのチケット売り場があります。

下之御庭

下之御庭しちゃぬうなー。初期位置正面に奉神門ほうしんもん首里森御嶽すいむいうたき、左手に広福門こうふくもん、後方に系図座けいずざ用物座ようもつざがあります。下之御庭は正殿前で行われる様々な儀式の控えの場でした。

系図座けいずざ(士族の家系図を管理する部署)および用物座ようもつざ(資材を管理する部署)があった建物です。現在は休憩所になっています。

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奉神門ほうしんもん。『神をうやまう門』の意味です。ここをくぐると御庭うなーです。別名『君誇御門きみほこりうじょう』ともいいます。入口が3つ見えますが、中央の入口は国王・冊封使(中国からの使者)など身分の高い人だけしか通れませんでした。
門のむかって左側の建物には納殿なでん(薬類・茶・煙草等の出納を取り扱う部屋)、右側の建物には君誇きみほこり(城内の儀式のとき等に使われた部屋)がありました。

内庭

有料エリア、御庭うなーに入ってきました。
この中央の道は、かつては身分の高い人しか通れなかったそうです。

首里城正殿。他の日本の城の御殿などとはまったく違います。赤い色が印象的です。

南殿。内庭に面した建物の中で、この南殿だけは赤く塗られていません。南殿は薩摩藩からの使者を迎える建物なので和風の建築になっているのです。現在は建物の中(南殿・機銃詰所・御書院・黄金御殿・正殿・北殿)を見学するコースの入口になっています。詳細は次の記事で。

北殿。琉球王国の行政施設だった建物で、冊封使(中国からの使者)が来たときの迎賓館としても使われたそうです。現在は建物内見学コースの最終エリアで、グッズショップなどがあります。

次の記事では建物内部を見学します。

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