水城公園・古墳公園

水城公園

火縄銃演武を見たあとは水城公園を通って古墳公園へ向かいます。

産業文化会館前を過ぎてすぐのあたりに、SLが展示されていました。

市役所から徒歩数分の水城公園
かつて忍城の東側には巨大な外堀があり、現在の水城公園はその南端部分の名残です。ここから現在の産業文化会館~市役所~NTTがあるあたりまで外堀が続いていました。だいたい市役所前の道路が堀の東端のようです。
『のぼうの城』でのぼう様が小船を出して田楽踊りを披露したのは…どのあたりでしょうか…。

さきたま古墳公園

途中、『フライ』を食べに寄り道して(別記事参照)、さきたま古墳公園に到着。
※水城公園からこの写真の位置まで2kmほどあります。夏場は給水注意!

公園全体図。上の写真は、図の左中ほどにあるさきたま広場です。このエリアには駐車場やレストハウス(トイレ、飲料自販機)があります。

公園北部(全体図の上)にある丸墓山古墳にむかいます。
写真は丸墓山古墳へ続く道(写真奥に向かって進むと丸墓山古墳)ですが、よくみると道の部分だけ周囲より少し高くなっています。実はこの道は石田三成が忍城を水攻めするために築いた【石田堤】の跡です。写真左が忍城側、つまり水を溜める側です。
現在は桜並木になっています。春に来るとキレイなんだろうな…。

丸墓山古墳

直径105m・高さ18.9m。日本最大規模の円墳だそうです。なんと上に登れます。

丸墓山古墳の頂上。
ここには、忍城攻防戦の際には石田三成の本陣がありました。

丸墓山古墳頂上より忍城のある方角を観ています。
忍城の三重櫓が見えているのですが、判るかな…

前の写真の中央部を拡大したものです。
石田三成もこの景色を観ながら忍城後略の作戦を練っていたのでしょうか…

…まぁ三重櫓は江戸時代に入ってから建てられたので、石田三成が忍城を攻めた時には存在しなかったんですけどね。場所も違うし。

稲荷山古墳

丸墓山古墳の隣にある稲荷山古墳。全長120mの前方後円墳です。
これも上に登れます。

※さきたま古墳公園内には他にも古墳が多数ありますが、上に登れるのは丸墓山古墳と稲荷山古墳の2つだけです。

稲荷山古墳、後円部の頂上です。
初期方向前方に丸墓山古墳、振り返ると将軍山古墳が見えます。

稲荷山古墳の後円部頂上には、地下の埋葬施設の様子が判るように図が描かれています。
なんとなく横穴式の部屋があるのかと勝手に思っていたのですが、頂上に縦穴を掘って埋葬していたんですね。
手前の楕円形に囲まれた部分は素掘りの縦穴に粘土板を敷き、その上に棺を置いた粘土槨ねんどかく。残念ながら発見時は既に盗掘されていたそうです。

もう1つ、柵で囲まれた部分は、舟形に掘った穴に川原石を貼りつけて並べ、そこに棺を納めた礫槨れきかくです。こちらからは金錯銘鉄剣や勾玉など多数の副葬品が出土したそうです。

将軍山古墳

さらに続いて将軍山古墳へ。全長90mの前方後円墳です。
こちらは横穴式の石室が発見され、多数の副葬品が出土しているとのこと。

将軍山古墳は上には登れないのですが、近づいてみると埴輪が並べられているのが判ります。

さらにこの将軍山古墳には大きな特徴があります。

なんと、裏に回ると古墳の中に入って見学できるようになっているのです。
…なんとなく秘密基地っぽいです。

将軍山古墳の中には、石室を復元した展示室があります。
オリジナルの遺物は破損・腐食してしまっていたことから、レプリカを作成して当時の状態を再現してあるそうです。鏡や玉などの装飾品、大刀や矛・鎧・兜などの武具、あぶみなどの馬具が配置されています。

古墳の土層のサンプルも展示されています。これは後円部墳丘の断面だそうです。

次は古墳公園南部にあるさきたま史跡の博物館へ向かいます。

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