本丸
本丸に到着。ここまでの道が山の北側で薄暗かったので、突然明るい広場にでた印象です。
ジオラマの印象より広く感じます。
ここまで車道を通すために二ノ曲輪や帯曲輪の構造はあまり残っていないのではないかと思いますが、本丸はある程度原形をとどめているようです。ジオラマでは判りませんでしたが南側には大規模な土塁があります。周囲は複数の櫓や門があったようです。また、ジオラマや絵図には描かれていないのですが、本丸御殿もあったようです。
本丸の隅に歌碑が2つ、並んで建っていました。
右の歌碑には
『藤原時朝あまたつくりたてまつりたる等身の泥佛をおがみ奉りて
浄意法師
君が身にひとしとききし佛にそ
心のたけもあらはれにける』
とあります。浄意法師は鎌倉時代の歌人、藤原時朝とは笠間時朝のことです。
左の歌碑には
『返事 藤原時朝
心より心をつくるほとけにて
我身のたけを知られぬるかな』
とあります。
時朝は文化人としての顔も持っていました。
宇都宮新和歌集には多数の歌が収録され、何体もの仏像の寄進をしていたそうです。
土塁の上に登ると、休憩所がありました。
さらに進んでいくと、八幡台櫓跡があります(写真初期方向前方の土が盛り上がって石柱が立っている部分)。それほど大きくはない櫓だったようですね。
下に降りて、さらに先に進みます。これまたジオラマや絵図では判らなかったことですが、(現在の?)本丸は八幡台櫓の土塁の位置で細くくびれたような形状になっています。そのいちばん細い部分には、大きな案内板がありました。
笠間城の記事の一番最初に載せた全体図はこれです。簡単な歴史も書かれています。
さすがに屋外なので汚れてはいますが、フレームは台風15号にも破損せずしっかりした状態です。
本丸の奧側。
井戸跡でしょうか?木が倒れて石柱が傾いていたりするのは台風の影響でしょうか…。
コメント