七尾城 その1

七尾城について

七尾城全体図(駐車場の案内板より)

七尾城は石川県七尾市にある中世の山城です。石動山系の北端、七尾湾を望む標高300mの尾根に本丸・二の丸・三の丸・調度丸などの城の中枢部の構造が残っています。尾根に沿って曲輪が配置された連郭式と呼ばれる構造です。石垣も大半が現存しており、なかなか見応えがあります。

築城年代ははっきりしませんが、戦国時代に逐次拡張されたものだとされているそうです。天正5年(1577年)に上杉謙信の攻略で落城するまで、能登畠山氏の居城でした。

今回見学した中枢部以外にも、尾根はいくつもに分岐し、それぞれに無数の曲輪が配置されていました。『七尾』の名は『七つの尾根』に由来しているとも言われています。

七尾城の最寄り駅はJR七尾線の七尾駅です。ガイドブックなどには駅からバスを利用して麓の資料館まで行き、そこから徒歩60分で本丸…と書かれているのですが、バスは1日8本と本数が少なく、また体力的にも大変です。
地図を調べると、山頂の本丸近くまで車道が続き、本丸の近くに駐車場があるようです。そこで、駐車場までタクシーで行き通常の登城経路を逆に辿りながら遺構を見学していくことにしました。

バスの第1便より速い午前8:30、駅前から15分・料金2300円ほどで駐車場に到着。…って雪積もってるし!
街中にはひとかけらの雪も残ってないのに!!山の中でこんなに積もっていたら冗談抜きに命が危ないわ!!

…というわけで、とりあえず本丸方面を目指し、傾斜のある場所にも雪が積もっているようならこの駐車場まで引き返して再びタクシーを呼ぶことにして出発。

※本記事冒頭の七尾城全体図は、駐車場の案内板にあった復元想像図です。

調度丸

駐車場近くに畠山義忠公(能登畠山氏二代当主)の歌碑があります。

『野も山も みなうづもるる 雪の中に しるしばかりの 杉の村立』

幸い本丸の方へ向かう道は、多少土が柔らかいか…?という程度でした。

そのままほぼ水平な道を100mほど直進すると、突然林の中に数段重なった石垣がみえてきます。
この石垣手前の少し広くなっている場所が調度丸です。

調度丸とは調度(武具)を整えた曲輪で、多数の出土品が発見されているそうです。

石垣の階段部分を上って行きます。
石垣は五段組になっていて、七尾城内でもっとも規模の大きく、見応えがあるものです。

階段の途中から調度丸を見下ろすとこんな感じ。下にいると樹木に視界を遮られるのでよく判りませんが、案外広い曲輪です。

桜馬場

石垣を登り切った場所は、東西に45m×南北に25mとかなり広い長方形の曲輪になっています。現在は樹木が多くて見通しが悪いですが、ここが桜馬場。馬の訓練をした場所とされています。

現地の案内板に貼りつけられていた桜馬場のCG復元図です。
判りやすくて良いのですが、クリアフォルダに入れたプリントアウトを虫ピンで立て札に止めただけのもので、強度的に不安が…同様のCG画像はここを含めて4枚しか見つけられなかったのですが、外れてなくなってしまったものもあるのではないかと…。

遊佐屋敷跡

桜馬場から東側に一段上がったこの曲輪は遊佐ゆさ屋敷跡
(朝、東に向かって進んでいるので写真がことごとく逆光に…)
本丸の西側に隣接する城の中心部にあることから、城主に次ぐ守護代の地位にあった遊佐氏の屋敷があったとされています。

遊佐屋敷のCG復元図。画質悪くてスミマセン…。
もとの画像ではなくブログ主のカメラのせいです…。

本丸

遊佐屋敷跡の脇を通りさらに登ると本丸。東西50m×南北40mの曲輪です。
単一の平面ではなく何段かになっていますが、樹木は少なく、全体を見渡すことが出来ます。
駐車場から写真を撮りながらのんびり歩いて本丸まで20分。やはり体力的にはこの方法がいちばん楽でしょう。

現地にあった本丸のCG復元図です。

本丸の北端からは七尾市街地と七尾湾が見渡せます。
七尾市街地まで4、5kmくらいあります。

本丸には城山神社があります。

温井屋敷跡

桜馬場まで戻り、さらに西に進もうとすると、城内の石垣に使われた石の中で最も大きい九尺石があります。写真中央の横長の石がそれで、その名の通り長さが9尺(=2.7m)あります。
近くにあった説明板には『城の鎮護の要石』、と。

桜馬場から一段下がったこのあたりが温井ぬくい屋敷跡。温井氏は城主畠山氏を補佐する八臣(四臣四家)の1人。ちなみにどこかで読んだ資料によると、四臣とは遊佐・神保・平・誉田、四家とは温井・三宅・甲斐庄・伊丹の各氏のことだそうです。

正面の石垣の上が二の丸です。よく見ると石垣は二段になっています。
右手に石垣1段目に登る斜路があります。石垣から連続した石積になっているようにみえますが、これも当時からの構造でしょうか?階段ではなく斜路というのはちょっと珍しいような気がします。
一段目から二段目に登る部分は階段になっていますが、ここももとは斜路だったところに最近になってから階段をつけたもののようです。

二の丸

二の丸に到着。ここも本丸と同様、樹木が少なく見通しがよくなっています。
写真奥に盛り上がった部分が見えます。土塁か、それとも櫓の土台でしょうか。

現地の説明板にあったCG復元図によると、二の丸中央に大きな屋敷があったようです。
奥の土盛りは、大堀切につき出した見張り台か何かの土台のようです。

次は三の丸へ向かうのですが、二の丸と三の丸の間には大きな堀切があり、橋がないため直接渡ることが出来ません。いったん下り、大堀切を渡ってからまた登る必要があります。

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