本佐倉城 その1(東光寺ビョウ~東山虎口)

本佐倉城について

本佐倉城全体図(東山馬場下駐車場付近にあった案内板より)

続100名城登城15城目(通算113城目)は千葉県佐倉市の本佐倉城もとさくらじょうです。

構造

本佐倉城は平山城です。築城当時この一帯には広く湿地が広がっており、その中につきだした半島状の【将門山】の上に内郭(城主の館などの主要部)が築かれています。

歴史

本佐倉城は1470年前後(応仁の乱の頃ですね)に築城されました。城主は当時下総国を治めていた千葉氏。その後、豊臣秀吉の小田原征伐後に改易となるまで千葉氏の居城でした。江戸時代に入ると軍事拠点の1つとして徳川家の譜代大名が交代で佐倉藩主として本佐倉城に入りますが、その後佐倉藩の藩庁が佐倉城に移転されるのに伴って廃城となりました。
移転先の佐倉城は100名城の1つに選ばれており、僕も数年前に登城したことがあります。

見学開始

本佐倉城の最寄りは京成線の大佐倉おおさくら駅。大佐倉という名前に反して1つ隣の佐倉駅よりもずっと小さな駅です。一日の平均乗降人数は400人と京成線では最も少ないのだそうです。僕がいった時も、下りたのは僕1人でした。
…そんな小さな駅なのに、なんと特急が停まります。

駅改札を出てすぐの場所(この写真右端にある自販機の手前あたり)に続100名城のスタンプがあります。本来は案内パンフレットも置いてあるらしいのですが、僕がいった時には切れてしまっていたようでした。
※酒々井町中央公民館にも続100名城スタンプや案内パンフレット、さらに発掘物の展示があるそうです。

東光寺ビョウ

散策マップ (外部サイト)をダウンロード&参照すると位置関係が判りやすいです

駅から本佐倉城まではそれほど入り組んだ道というわけでもないので、地図があれば迷うことはないでしょう。10分ほど歩いて、本佐倉城内各部北側の郭東光寺ビョウ(散策マップ1)までやってきました。

東光寺ビョウの中ほど。ここは本佐倉城の正面玄関のような場所といわれています。ただし広く平坦に開けた東光寺ビョウが城内でどんな役割を果たしていたのかはよく判っていないとか。かつてはここより北側には湿地が広がり、西側(現在駅から続く道とだいたい同じ邦楽)以外からのアクセスは困難。

この写真初期方向正面あたりに南奥虎口。左に東山虎口、右にセッテイ空堀の出口があります。ガイドマップに示された標準的な見学コースは、東山虎口から肺って内郭をひととおり周り南奥虎口から出るようになっています。

ずっと進んで、東光寺ビョウの東端。東山虎口から入る場合は、ここが上り口です。案内板などがないのでちょっと判りにくいです。

東山虎口

登ってきた坂道から左に折れて東山虎口(散策マップ2)。
1つ目の門があったそうです。

東山虎口より東山馬場方面へ続く通路。蛇行した狭い通路です。さらにかつては通路の両側に門があったとされています。このため敵兵が進入した場合も大軍が一気に通過することができず、左右の斜面の上から矢を射かけるなどして攻撃できるようになっていました。

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