土浦城 その1

続日本100名城113番・茨城県の土浦城、登城7城目(通算105城目)です。

土浦城について

鬼城公園全体図
(現地案内版より)

歴史

平安時代に平将門がこの地に砦を築いたという伝説もあるそうですが、文献で確認出来る築城年代は室町時代の永享年間(1429~1441年)、築城主は常陸守護八田知家の後裔、豪族の小田氏に属する若泉三郎です。戦国時代には菅谷氏・小田氏と城主が変わりますが、徳川家康が関東に移った後は結城秀康(家康の次男で結城家の養子となった)・藤井松平家の松平信一(藤井松平氏は家康の高祖父である松平長親の五男・利長を祖とする)と徳川に縁のある武将が城主となります。

江戸時代になると、元和3年(1617年)に藤井松平氏にかわって西尾氏が城主に。西尾氏時代に本丸正門が櫓門になり、西櫓と東櫓が建築されました。
慶安2年(1649年)に城主が朽木氏に変わり、その時代に櫓門が太鼓櫓に改築されました。
寛文9年(1669年)に城主が土屋氏に変わりました。
天和2年(1682年)に城主が松平氏に変わり、その時代に城の大改修が行われました。
貞享4年(1687年)に城主が土屋氏にもどり、その後は江戸時代の最後まで土屋氏が城主でした。

明治時代になり、廃藩置県の後に土浦城は廃城となり、本丸御殿は新治県(現在の茨城県南部と千葉県東部)県庁となりましたが、明治17年(1884年)に本丸御殿は焼失。明治32年(1899年)に本丸と二の丸南側が亀城公園となりました。

構造

江戸時代の城郭図
(現地案内場より、
ヨゴレやひび割れがあります)

本丸の周りを二の丸が囲み、さらにその外側を三の丸・外丸が囲む、というように、同心円状に曲輪が配置される輪郭式と呼ばれる形式の平城です。

土浦で度々起こる水害の際にも水没することがなかったことから、水に浮かぶ亀の甲羅にみたてて亀城きじょうとも呼ばれています。

現在は本丸と二の丸南側が公園として整備されています。当時とは水堀の構造など一部が異なっています。

現状

現存建築として本丸に櫓門と霞門があります。また二の丸の旧前川口門も別の場所から移築された物ですが江戸時代の建築物です。
本丸には西櫓と東櫓が復元されています。このうち西櫓は解体した時の部材を用いており、東櫓も江戸時代の工法を用いた復元です。

いざ登城

最寄り駅はJR常磐線土浦駅です。特急を使わなくても都心から1~2時間程度でアクセスできます。今回も順調に移動して8:30頃に現地到着。

土浦駅は思ったより大きな駅でした。

土浦駅の向かいのビルは市役所なのですが、一見商業施設っぽい外観です。実際、一部には店舗も入居しているようで、飲食店や食品店の看板も見えます。

実はこの建物は、元々イトーヨーカドーを中心とする複合商業施設だったもの。ですが2013年に店舗の大半が閉店。2015年から土浦市役所本庁舎として使われているのだそうです。

さて、早速土浦城に向かいます。バスもあるようなのですが1kmちょっとなら歩いてもそう時間はかからないか、とテクテク15分ほどで土浦城(亀城公園)に到着。

二の丸

入口は『街中にあるちょっと大きめの公園』な感じなのですが、一歩入ると早速櫓と櫓(東櫓)が見えます。このあたりは二の丸、堀の向こうの櫓があるのが本丸です。

二の丸に入ってすぐのところにある聖徳太子堂
最初は桜川沿に建てられたものを、土手の改修工事の際にここに移したのだそうです。
『日本仏教の元祖である聖徳太子を祀る』との説明ですが、鳥居があったり。
また御利益は家内安全・交通安全とのこと。

二の丸南東部にある旧前川口門
かつてはこの位置には二の丸の二ノ門がありましたが、それは現在ある旧前川口門とは異なる物。もとの二ノ門は現存していません。
この門は江戸末期に建築された高麗門で、武家屋敷と町屋の間を仕切る門・前川口門であったといわれています。明治時代に土浦戸長役場(のちの町役場)の門となり、大正時代には寺の山門として移されたものを、昭和56年(1981年)に寄贈されてこの位置に移築したのだそうです。
市指定文化財です。

二の丸南東部全景。旧前川口門より奧側は広場になっていて、運動などが出来るようです。

太鼓門前の区画は一段高くなっています。櫓跡かと思ったのですが、あとで博物館で観た立体模型によると太鼓櫓前の枡形かなにかのようです。

二の丸南西部のこの橋は、木造でいわくありげですが、、、特に歴史的建築物というわけではないようです…

二の丸西側全景。公園らしい子供向けの遊具、貴重な現存建築である太鼓門、庭園(ひょうたん池)などが見えます。

平日の朝なので、さすがに遊んでいる子供はいませんでした…

写真の中央奥にある大きな木は『亀城のシイ』として県の文化財に指定されている推定樹齢500年のスダジイの木です。樹高16mで県下のシイの中では有数の巨樹です。樹齢500年ということは戦国時代からずっとここにあるんですね…。

高田保句碑
高田保は土浦市出身。早稲田大学卒業後、雑誌の編集や新劇運動に参加し、劇作家・演出家として活躍した人物です。小説や随筆の分野でも活躍し、新聞連載していたこともあるそうです。

写真だと見づらいですが、大石の上面には

『あの花も この花もみな はるのかぜ』

と刻まれています。高田保の句を、阿部真之助の筆で記したものだそうです。

原脩次郎銅像
原脩次郎は茨城選出の衆議院議員だった人物です。生まれは京都ですが、明治45年(1912年)に妻の実家のある茨城県で立候補して初当選。6回の衆議院議員選挙当選のほか、拓務大臣(植民地の統括や移民を管理)・鉄道大臣(鉄道に関する業務を行う)をつとめたそうです。

藤棚のようです。花の咲く季節に来たら綺麗なんだろうな。

公園の管理事務所の前には、山村才助贈位紀恩の碑があります。山村才助は江戸時代の人物で、土浦藩出身の地理学者だそうです。

二の丸のミニ庭園。噴水やあずまやがあります。
この池にはひょうたん池という名前がついているようです。

初期方向正面、木の奥に見える建物は土浦市立博物館です。

管理事務所やひょうたん池の近くではサルが飼育されています。

サルは二頭、スミレとリョウタだそうです。どっちがどっちかな。

これで二の丸はひととおり回りました。いよいよ本丸へ向かいます。

本丸の正門である櫓門(太鼓櫓)。明暦2年(1656年)に改築されたもので、本丸にある櫓門としては関東唯一の現存建築です。時刻を知らせる太鼓が置かれていたことから太鼓櫓とも呼ばれています。

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