滝山城 その1

滝山城について

滝山城全体図
(現地案内版より)

続100名城登城5城目(通算103城目)は、東京都八王子市にある滝山城です。

構造

多摩川と秋川を堀とし、丘陵地の稜線にそって曲輪が配置される連郭式の山城です。

歴史

永正18年(1521年)に木曽義仲の末裔で山内上杉氏の重臣大石定重によって築城されたと言われています。定重の子・定久の時代に上杉氏が北条氏に責められて没落。定久が娘・比左の婿養子として北条氏照を迎え、氏照に滝山城主を譲ります。永禄12年(1569年)に小田原攻撃に向かう武田信玄に攻められ、2000の寡兵でなんとか凌いだものの、落城寸前まで追い込まれたのは滝山城の防御力不足であるとして新たに八王子城を築いて移転しました。

現状

公園として整備されています。城内は大手口~本丸までは舗装された通路があり、歩きやすいです。ただし東側の屋敷跡方面や山の神曲輪方面の通路は舗装されていません。

いざ登城

八王子駅からバスで20分ほど。山城ですが比較的アクセスしやすいです。

滝山城址下バス停より撮影。奥の山が滝山城です。

住宅街を通る短い道の奥はもう大手口
ちなみに左手前の自販機が最後の補給ポイントです。城内には自販機はありません。
※中の丸のトイレに水道はあります

このS字カーブは升型跡でしょうか?

小さな社が。由来などは判りませんでした。

天野坂と、並行して走る堀。
堀のむこうは小宮曲輪

三の丸

天野坂の先、このあたりは三の丸升型虎口跡だそうです。かすかに道がS字に曲がっていますが升型の形状は明確には残っていません。

三の丸の防衛構造、コの字型土橋
細い土橋がコの字のように何度も直角に曲がって連なっていて、そこを走る敵兵を堀を挟んだ土塁の上から矢や鉄砲で攻撃する…というものらしいのですが、現在の見学路はコの字を無視してほぼ直進するようになっているのでかつての構造が判りにくいです。

千畳敷

三の丸付近で上り勾配は終了。次は千畳敷へ。

千畳敷の入口。昔の姿をどの程度残しているのかは判りませんが、 一応入ってすぐに左右に曲がらなければいけない構造に見えますね??

千畳敷。一辺180mの正方形に近い形状、城内でもっとも広い平面の空間です。
城下の民が年貢を納めたり陳情をしたりといった、役所のような施設があったと考えられています。

千畳敷からはすぐ隣の二の丸の角馬出が見えます。

二の丸

二の丸の防衛機構の1つ、畝堀障子堀の跡。
…といっても形状は草に覆われてまったく判別できません。冬に来るべきだったかな。

中の丸南側、櫓門跡らしいです。

手前が中の丸・本丸方面、奥が二の丸方面、右手が大手口方面の分岐。

二の丸方面に少し進むとこんな感じ。かつては屋敷が並んでいたのでしょうが、今は林で足を踏み入れにくい状態です。

先ほどの分岐に戻って中の丸・本丸方面へ進み、この写真の分岐を右手に行くと中の丸、左手に行くと本丸と中の丸の間の大堀切に行けます。
左に進むと大堀切から本丸に上るルートに進みます(曳き橋を下からみたい場合もこちら)。

中の丸

例によってこのカーブは枡形跡でしょうか。

中の丸は本丸に隣接するかなり広い曲輪です。

中の丸にはいってすぐのところにあるこの建物は、城内唯一のトイレです。
まぁまぁ清潔に保たれていました。

かつてここにあった国民宿舎の建物の一部だそうです。現在は中には入れません。
続100名城スタンプはこの建物の前に置かれています。

建物の裏手には休憩所のようなものがあります。

休憩所からの眺め。

続いて、木橋をわたって本丸へ移動。
この木橋は、有事には本丸側に引き込むことが出来るようになっていた…とのことですが、現在のものがどの程度当時の姿を反映しているのかは不明です。さすがに引き込み構造にはなっていないと思うのですが(強度的に問題がありそうだし)、外見は似せてあるのかな?

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