品川台場 その1

品川台場について

全体図(現地案内版より)

続100名城登城4つめは品川台場です。

品川台場とは、江戸時代末期に異国船から江戸湾を守るために作られた海上砲台の跡地です。 嘉永6年(1853年) のペリー来航を脅威と感じた江戸幕府が急ぎ作らせました。台場は第一から第七まで作られましたが、埋め立て地に埋没したり撤去されたりで次々と姿を消し、現存しているのは第三台場と第六台場の二つのみです。そのうち第三台場は台場公園として整備され、中を散策することができます。また第六台場は上陸禁止ですが、フジテレビ本社やデックス東京ビーチなどお台場北側のビル、レインボーブリッジから観ることはできます。

いざ登城

最寄り駅はゆりかもめのお台場海浜公園駅です。台場公園入口まではそこから900mほどありますが、先にスタンプとリーフレットを入手するためにお台場海浜公園案内所へ。

お台場海浜公園の案内所は、デックス東京ビーチとデッキで接続されたマリンハウスの1階にあります。

マリンハウス付近から品川台場まではおだいばビーチが続いています。
1kmほど歩きます。曇りで日差しが弱く、8月にしては気温が低めでよかった…。

第三台場へと続く橋というか地峡?の部分。
地図で見るとこのあたりは台場公園ではなくお台場海浜公園の一部のようですね。

かつては台場は独立した島状の建造物で、歩いて渡ることはできませんでした。
(まぁお台場ほぼ全域が戦後に作られた埋め立て地なわけですが…)

このあたりには震災や戦災の遺体が多く漂着した場所だそうです。
これはその慰霊の顛末碑です。

正面の階段が第三台場の入口です。

内部

第三台場は、1辺約170mの正方形に近い形状です。周囲は土塁でかこまれ、内側が低くなっています。

北東端(入口に一番近い角)に内部に下りられる道がありますので、さっそく下りてみます。

土塁の何カ所かに、このような『入口』が見られます。これは弾薬庫の跡だそうです。
1枚目は北東寄り、2枚目は南西寄りにありました。
北東寄りのものは入口も内部もほとんど埋まってしまっているようです。
※弾薬庫跡はすべて内部立ち入り禁止です

舗装された見学路はなく、なんとなく踏み固められて草が薄くなっている部分があるだけです。それ以外の部分は大人の太腿に届くほどの高さの草に覆われています。足下がまったく見えないのに地面はかなり凸凹しているようなので慎重に歩いて行きます。

この日はかなり風が強かったのですが、四方の土塁が風よけの役をはたしてくれているのか内部はそよ風程度でした。

中心付近にはコンクリートの土台が残る長方形の領域があります。これは陣屋跡だそうです。

南側に、外周よりは低い土塁で囲まれた部分があります。

中に入ると、ここも舗装と、何かの構造物が残っています。
これはかまどの跡だそうです。
これは江戸時代のものではなく、明治時代以降に設置されたものです。

台座の周囲にある穴に釜や鍋を置いて使っていたのでしょうか?
中央の塔部分は煙突かな?

もう1箇所、東側にも周囲を囲まれた部分があるのですが、こちらについてはなんの説明もありませんでした。何かの施設があったのか、それとも爆風避けでしょうか。

次の記事では、土塁の上を回ってみます。

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