菅谷館跡 その1

菅谷館について

菅谷館全体図(城内の案内版より)

杉山城の見学は午前中で終了しましたが、埼玉県比企郡嵐山町にはもう1つ続100名城に選ばれた史跡があります。というわけで、続100名城登城3つめは菅谷館です。
鎌倉時代の御家人、畠山重忠の館跡です。

菅谷館は、都幾川沿いの平地に築かれた平城(というか中世武家屋敷)です。南郭が川に向かって下りになっている以外は、ほぼ同じ高さに郭が配置されています。空堀を渡る(橋が復元されていないので堀に下りてまた上るようになっているのが何カ所か)以外は水平移動です。
幸い雨が上がったので、こちらはゆっくり見学できました。

いざ登城

最寄り駅は杉山城と同じく東武東上線の武蔵嵐山駅。駅から1kmほどと杉山城よりははるかに近く、また住宅街の中でほぼ水平移動なので、徒歩でも充分移動可能です。

今回は、杉山城からのハシゴ登城なので、スタンプを押した嵐山町役場から一気にタクシーで移動してしまいました。

国道254号バイパスを渡って、嵐山史跡の博物館駐車場への入口です。
ここはもとは搦手門で、入口両側の土の盛りあがりは土塁の跡です。手前の低い土塁と駐車場を囲む高めの土塁とで二重になっています。さらにむかって右手の土塁の方が少し手前にずれている食い違い式になっています。また、現在バイパスが通っている場所はかつては外堀代わりの泥田堀になっていました。

三の郭

入ってすぐの領域は三ノ郭です。 現在は博物館が建っています。

駐車場の中に進むと嵐山史跡の博物館
また天気が崩れると嫌なので、展示の見学は後回しにして晴れている間に場内を一周することに。

博物館南側

まずは博物館のすぐ裏(南側)から。

博物館裏手には、博物館建設に伴う発掘調査で発見された建物跡や井戸跡があります。
建物跡については、2棟分の柱の位置を再現しているようです。

井戸跡も位置を示しているだけで、構造は復元されていません。

菅谷館の立体模型もあります。

博物館西側

次に、博物館西側へ続く遊歩道を進みます。

ほとんど林ですが、このあたりもまだ三ノ郭です。
道があちこちに向かっているように見えますが、最終的には1本に合流して西ノ郭に続いています。

三ノ郭の西端近くにある蔀土塁しとみどるい
西ノ郭側から三ノ郭の中が見通せないように、目隠しとして作られた小型の土塁です。

土塁の切れ目は正坫門しょうてんもん。三ノ郭の西側の出入り口です。
木橋がかけられ、渡った先は西ノ郭です。
この木橋は復元されたものですが、もとは三ノ郭側が1mほど高くなるように傾斜して掛けられ、敵の侵入が困難になるように工夫されていたそうです。

三ノ郭と西ノ郭の間の木橋の上から。木橋の下は空堀になっています。

西ノ郭

西ノ郭に渡ってから振り返って木橋と正坫門を。
三ノ郭は土塁に囲まれているのですが木が多くて写真だと見づらいですね。

西ノ郭中ほど。
一応、遊歩道ができていますが、それ以外はほぼ林ですね…。
マムシが出るそうなので注意。歩道部分をはずれて草むらの中に足を踏み入れないようにしましょう。

西ノ郭の西端。
手前両側には土塁の痕跡、その先は空堀があります。
ここには木橋はなく、いったん空堀に下りてまた上るようになっています。上った先は比企丘陵自然公園駐車場で、左手に進むとオオムラサキの森に行けます。

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