« »

名胡桃城 その1

名胡桃城について

現地案内板の全体図

小旅行の2つ目の目的地・続100名城登城10城目(通算108城目)は、群馬県利根郡みなかみ町にある【名胡桃城(なぐるみじょう)】です。岩櫃城から電車で1時間、上越線後閑駅から直線距離で3kmほどの位置にある山城です。

構造

名胡桃城は、【名胡桃平】と呼ばれる河岸段丘の段丘面(河川敷から比高70m)から川沿いの低地にむかって突き出した尾根の部分に築かれています。馬出・三郭・二郭・本郭・ささ郭が一列に並ぶ【連郭式】とよばれる構造です。細長くつづく城域の両側は急斜面となっており、攻めるに難い城だったと思われます。

歴史

名胡桃城は室町時代の明応元年(1492年)に沼田城の支城として沼田氏によって築かれたといわれています。現在見られる名胡桃城址は、戦国時代に天正7年(1579年)に武田勝頼の命を受けた真田昌幸によって築かれたものす。これは沼田氏の本拠地である沼田城攻略の拠点となりました。

名胡桃城といえば、『名胡桃城事件』が有名です。
沼田氏滅亡後、真田氏と北条氏は沼田地方を巡って争っていましたが、天正17年(1589年)豊臣秀吉の裁定で名胡桃城は真田氏・沼田城は北条氏のものとされました。しかし裁定からわずか数ヶ月後に北条側が計略をもって名胡桃城を占領してしまいました。これが『名胡桃城事件』です。
真田氏の訴えをうけた秀吉は北条氏に対して城を占領している者の処罰を迫りますが北条側はこれを拒否しました。このことが大名間の私闘禁止令(惣無事令)に反するとして、小田原征伐の原因になったといわれています。

見学ガイド

名胡桃城跡は、建物の復元こそありませんが非常に良く整備されています。各所に発掘平面図と復元想像イラストを載せた解説板があり、城の構造を理解しやすくなっています。通路も舗装されていて歩きやすく、散策に体力を使いません。散歩程度の装備でも見学できます。

名胡桃城は山城ですが、国道17号からはほぼ水平~ゆるやかに先端に向かって下っていくだけなのであまり 『山城』という感じはしません。各郭もそれほど大きくはなく、馬出からささ郭までは200mほどです。上り下りは郭を結ぶ橋の階段数段程度なので、30分もあれば一番奥のささ郭まで見学できると思います。

交通について。後閑駅からはかなり遠く、徒歩だと歩き慣れた人で40分・普通の人なら1時間はかかります。近くを通るバス路線もないので、少なくとも駅から比高60mの上り(10m下って70m上る)となる往路はタクシーを使うのが現実的でしょう。

見学開始

午前中に岩櫃城見学を終え、JRで移動。岩櫃城最寄りの群馬原町駅から名胡桃城最寄りの後閑駅までは約1時間。後閑駅到着は13時頃でした。後閑駅から名胡桃城までは道程4km以上、高低差70mほどあり、歩いて行くのはちょっと大変そうです。タクシーを利用…と思ったのですが、群馬原町駅前と同じく駅前にタクシーがいません(たまたま出払っていたのではなく後閑駅前で客待ちはしない模様)。またしても電話して来てもらうことに。

まぁ車に乗ってしまえばあっというまに名胡桃城の案内所に着いてしまいました(1800円ほどでした)。名胡桃城の入口(馬出)はこの写真の右奥方向に少し進んだところにありますが、まずは案内所内で続100名城スタンプと御城印(300円)をゲット。展示室とビデオ上映があったので見学しました。

展示室はこぢんまりとしていますが、中央にある名胡桃城のジオラマをよく観てから出発した方が地形が把握しやすいです。

名胡桃城が、細長く伸びた半島状の地形の上に作られていることがよく判ります。

城址でのお約束、記念撮影用の兜や刀など。
『さわらないでください』と書いてあるのは壁に掛けてある面のことです。

馬出

案内所を出て城内へ進みます。

まず車道からすぐの【馬出(うまだし)】。
近くの説明板によると、扇形に舗装されている場所が本来の馬出の形状で、その周囲はもとは深さ1.2mほどの堀になっていたようです。現在ではほとんどの部分が埋められてしまっています。赤い部分はもとは木橋で、外郭~馬出~三郭と一直線に続かないよう、わざと角度をつけられています。

馬出の中央付近に立って周囲を撮影。
初期方向正面の木橋で三郭と接続していました。
振り返ると、現在はすぐ車道になっていることが判ります。

現地案内板にあった馬出の平面図です。

現地案内板にあった馬出の復元想像図です。周囲が柵で囲まれ、入口には冠木門が描かれています。三郭との間の堀の深さも現在残っている物よりだいぶ深いようです。

三郭

【三郭(さんのくるわ)】
三郭は約64m×26m、東西に細長い郭です。
平面図によると初期方向前方にある三日月型の舗装部分は堀を表しているようです。
三日月型の堀といえば、馬出に独特の形状です。当初はここに馬出があり、道路に近い側の馬出はあとから作られたものだと思われます。

三日月堀のあった場所より、二郭との間の堀を見ています。
堀がここまで直線的なのは、天然の谷ではなく人工的に掘ったのでしょうか。

三郭と二郭の間の木橋の上より。
馬出周辺よりは堀が深くなっています。
すぐ先に【二郭南虎口】が見えています。

現地案内版にあった三郭の平面図。

三郭の復元想像図。現在の地形からはまったく判別できませんが、二郭側を除く三方が土塁に囲まれています。
この図では三日月堀が描かれていません。三日月堀が既に埋められ、別に馬出が作られた後の時代を表しているのでしょう。

« »

コメント

タイトルとURLをコピーしました