大多喜城 その1

大多喜城について

博物館下のゲート付近にあった図

続100名城登城13城目(通算111城目)は、 千葉県夷隅郡大多喜町の大多喜城です。

構造

大多喜城は、現在いすみ鉄道大多喜駅のあるあたりから西に三の丸、現在大多喜高校のあるあたりが二の丸、山の上の博物館のあるあたりが本丸と、曲輪が一列に並ぶ連郭式の縄張りの平山城です。

歴史

この地に初めて城が築かれたのは大永元年(1521年)まで遡りますが、現在残っている形にしたのは天正18年(1590年)に徳川家の重臣である本多忠勝が改築したものだとされています。博物館の展示も本多忠勝時代のものが主でした。

見学ガイド

現在は本丸の土塁・堀跡、二の丸の大井戸が遺構として残っています。また二の丸御殿の薬医門が移築現存しています。天守は博物館の展示室になっていますが、資料に基づいたものではないので(そもそも天守は本多忠勝入城以前に焼失し、その後再建されなかったという説もある)、外観復元というよりは模擬天守の類なのかもしれません。

見学開始

大多喜は千葉県外からだとかなり交通の便の悪い場所なのですが、なぜか品川からバス(空港連絡バス)が運行されています。本数は少ないのですが、時間が合えば鉄道を利用するより安く・早く大多喜に到着します。

というわけで…もしかしてアクアライン初体験だったかな?
写真はバス車内より。もうすぐ千葉上陸。

バスは大多喜駅向かいの大多喜町観光本陣前に到着。
観光本陣内には、案内所、土産物店、休憩室などがあります。

大多喜駅からすぐ大手門。といってももちろん現存ではなく、観光用にそれっぽいデザインで作られただけのものです。
城時代の大手門も大多喜駅近くだったようです(ここから北西に150mということなので、たぶん線路を挟んで駅舎の反対側あたり) 。大手門を入った先、つまりおおまかに線路の向こう側が三の丸だったようです。

大多喜駅は、駅自体は小さいのですが車両基地としての機能もあるようで、何編成も停車しています。

なんだかよく判らないメキシコ公園
大多喜駅南側の踏切のすぐ近くです。

『心の記憶』…という像で、『手で触ってメキシコのパワーを感じる』ためのものらしいのですが…

大多喜城方面へ続く道路はメキシコ通りという名前で、その名の通り(?)道にはこのようなイラストタイルが…

踏切を渡ってメキシコ通りを進み始めてから150mほど。この分岐を直進すると大多喜城、右折すると大多喜高校です。大多喜高校の敷地内にも観たい遺構があるので、先にそちらへ。

大多喜高校に残る遺構

最近はセキュリティの厳しいところが多いので、校門で守衛さんに身分証をチェックされたりするのかな、と思いながら歩いていると、誰にも会わないまま薬医門までたどり着いてしまいました。
…というか、校門自体なかった…。

薬医門 表側
薬医門 裏側

大多喜高校の校舎裏にある薬医門。二の丸御殿の門だったもので、大多喜城唯一の現存建築。
現在の大多喜高校の校舎あたり(この写真の左手)が、二の丸御殿だったそうです。

薬医門周辺VR。門以外は普通の高校の風景です。悪ガキがイタズラなんかしないのかな。何人か見かけたこの高校の生徒っぽい子たちはみんな真面目そうだったから大丈夫なのかな。

薬医門周辺の地形は、城時代の構造を反映しているのでしょうか??

薬医門からもう少し奥へ。駐車場には大井戸
本多忠勝の時代(天正18年/1590年頃)に作られた、日本一の大井戸です。周囲17m、深さ20mもあるそうです。

中を覗くと、いまも水を湛えています。

大井戸周辺の様子。見上げると大多喜城天守が。

さて、次は大多喜城本丸の博物館へ向かいます。
地図だと、大多喜城へ行くにはいったん先ほどの交差点まで戻って大回り(1kmあります)しなければならないように思えるのですが…

よく観ると天守下の斜面に坂道のような物が見えます。
実はここを登ると直接本丸に行くことが出来ます。

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