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備中松山城

井倉洞を後にして再びJR伯備線に乗り、井倉から倉敷方面へ少し戻って備中高梁(びっちゅうたかはし)駅へ。
目的地は【備中松山城】


備中松山城は、天守閣が現存する城としては日本で最も海抜高度の高い場所にある山城です。
電車の時刻表は事前に調べてあったのでここまでの移動は順調だったのですが…。
実は、駅から現地までの移動手段がありません。
事前に調べた範囲(前日夜にネットで検索をかけただけですが)では、駅から直接現地まで向かうのは『乗り合いタクシー』だけ。タクシーといいながら料金は片道350円ほどと安いのですが、その代わりに出発時刻が決まっていて1日に4本しかありません。一番早い便は…1時間後。
はいはい、僕の旅行はいつもこうですよ。
路線バス利用なら登山口近くの鶴見橋駐車場付近まで路線バスがあり、さらに土日はそこから山の中腹までシャトルバスがあるはずなのですが…今日は平日orz
しかも路線バスも本数が恐ろしく少なく、、、
地図上では3~4kmほどなので歩くことも考えていたのですが、地図で見た印象よりも見通しが悪そうで、道に迷ってしまいそうです。
というわけで、貧乏性な僕には珍しく(笑)一般のタクシーを利用することにしました。
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車は細く見通しの悪い道をクネクネと進んでいきます。
おまけに(山の方を目指しているのだから当たり前ですが)ほぼずっと上り坂。
やっぱり歩かないで正解だったかな。
10分ほどで山の八合目にある鞴峠(ふいごとうげ)駐車場に到着。
車が上ってこられるのはここまで。残りは自分の足で登ることになります。
城へと至る道は2本あるのですが、タクシーの運転手さんの
『右側の道の方が多分楽だよ』
というアドバイスに従って、そちらに進むことにしました。
駐車場からさらに数百mは舗装された道。
不規則にでこぼこしている山道よりも脚への負担は軽そうです。
少し登って、木々の間から見えた麓の街は…
備中松山城登山道からの眺望
…もうこんな高い場所なのか…。
まぁ、自分の脚で登ったのはまだ高さ数m分ですが。
やがて舗装されていない道となり、傾斜も急に。
備中松山城登山道立て札
『本日の登城 大義であった』
登城道のところどころにはこのような立て札が。
他にも、
『よくぞまいられた』
『あわてずゆっくり歩むべし』
『松山城へは右手の道を進むべし』
と書かれたものがありました。
そのまま登っていくと12、3分で石垣が見えてきました。
備中松山城大手門
ここが備中松山城の大手門跡。
今は櫓や門そのものは残されていませんが、自然の巨岩と一体になった独特の見事な石垣を見ることが出来ます。
備中松山城大手門を三ノ丸側から
ここからさらに階段や坂で上り。
平城とちがって門を通った後も登りがキツイですね。
大手門側を振り返るとこんな感じ。
備中松山城足軽番所跡
大手門そばの足軽番所跡。
備中松山城三ノ丸への階段
三の丸から鉄砲狭間のある塀を見ながら登っていくと、二の丸に到着。
備中松山城二ノ丸
ここは建物の復元はほとんどされておらず、ベンチがいくつかおかれた広場になっています。
この写真の右手に木に隠れるようにして天守閣、中央の階段の真上にあるのが五の櫓、その左手が六の櫓です。
公園になってしまっている二の丸ですが、周囲をよくみるといくつかの見学ポイントがあります。
備中松山城雪隠跡
まず雪隠跡。
雪隠と言えばトイレのことなのですが、人が数人入れるほどの大きさを持った穴を石で補強してあります。有事に伏兵を置く場所だとか、抜け道の入口だとかいった説もあるそうです。
備中松山城歌碑
もう一つ、歌碑。
与謝野寛・晶子夫妻がこの地を旅行したときに詠んだ
『松山の渓を理むるあさ霧にわが立つ城の四方しろくなる』(与謝野寛)
という歌を刻んだ碑があります。
同じ時、与謝野晶子も
『瀬戸の海伯耆に霧の分れ去りあらはになりぬ傷ましき城』(晶子)
という歌を詠んだそうですが、、、こちらの碑もあったのかな?
~~
備中松山城全景
備中松山城の全体図の案内板があったので掲載。
見やすいように白黒加工しています。
図の左下の大手御門から入り、右カーブしながら登って現在図の中央左寄りの二の丸です。
五の平櫓と六の平櫓の間を抜けて本丸への階段を登り、入城料を払って本丸へ。
備中松山城展示室
復元された六の平櫓の中は資料室とビデオ資料の上映コーナーになっていて、傍らには冷茶のサーバーが。登りで汗をかいたので、ありがたく備中宇治茶で一服。
本丸には上記の復元櫓の他、七の平櫓、八の平櫓の台が中央の広場を囲むように残っています。
備中松山城天守閣
この天守閣は復元ではなく、オリジナルを修復した木造二階。
ごく小さな天守閣ですが、山城で天守閣が現存しているのはここだけだそうです。
では早速天守閣内へ…。
天守閣は石垣左横の小屋のような所から入ることが出来ます。
資料によっては『天守閣地下1階』と表現されていることもありますが、本来これは天守閣の一部ではなく別の櫓へ続く渡り廊下です。
備中松山城玄関
これはその渡り廊下の奥から入口を見ています。入口に下駄箱があって、ここで靴を脱いで中に上がります。左手の階段が天守閣の一階へ続いていています。
備中松山城天守閣1階
この写真で写っているのが天守閣1階のほぼ全景。写真奧には2階へのぼる急な階段が見えます。
この写真ではよくわかりませんが、天守閣の構造や修復時の状況などを解説するパネルが何枚もあります。
1階がこの広さというのは、現存天守では最小クラス。実際の政務の中心は麓の屋敷で行われており、ここは有事の際の拠点と権威の象徴的な価値だったと考えられています。
備中松山城天守閣階段
備中松山城の天守閣では、もちろん2階に上ることも出来ます。
傾斜が急で幅の狭い階段。途中で直角に曲がる踊り場。
これらはすべて敵に攻め込まれたときのための対策です。
備中松山城天守閣2階
2階は1階よりもさらに狭くなっています。
窓から外を眺めてみると…
備中松山城天守閣からの眺望
天守閣自体はそれほど高くないのですが、山の上にあるので麓の町並みははるか下に見えます。
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次は天守閣を出て後曲輪へ。
備中松山城後曲輪
全体図の右上のエリアです。
ここは他のエリアと比べて整備がまだまだな様子。
図からすると周囲を囲む土塀や櫓があったようですが、今は櫓台が残っているだけです。
今後、建物が復元される予定はあるのでしょうか?
備中松山城二重櫓2
後曲輪から二重櫓を。木に半分隠れて天守閣も見えます。
この二重櫓もオリジナルが現存。ただし天守閣と違って内部は公開されていません。
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僕以外にはほとんど見学者がいない上に電車の時間までかなり余裕があるので、本丸入口付近に戻ってビデオ資料をのんびり閲覧しました。
ビデオ資料によると…この備中松山城には、【忠臣蔵】で有名な大石内蔵助が滞在していたこともあるそうです。
松の廊下の事件の七年前、当時の備中松山藩主だった水谷勝美が死去した際、跡継ぎがなかったためにお家断絶となりました。その時に城の引き受けの任を受けたのが赤穂藩浅野氏です。一時は抵抗のそぶりを見せた備中松山藩家臣たちも、赤穂から派遣された大石内蔵助の説得で無血開場に応じたとのこと。
その時の備中松山藩側の責任者が家老の鶴見内蔵助。
『二人内蔵助』の物語として語られているそうです。
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というわけで備中松山城の見学終了。
帰りは先ほどと違う道を歩いてみます。
備中松山城登山道からみた石垣
たしかに道がデコボコしていて来たときの道よりは歩きにくいのですが、そのかわり所々に城の遺構が残っています。櫓跡?に登ってみると、まるで展望台のようです。
10分ほどで駐車場に到着。
電話でタクシーを依頼。
備中高梁駅から、ちょうどやってきた特急列車に乗って岡山まで。
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【備中松山城】
JR伯備線備中高梁駅からバス、タクシー等利用。
一般のタクシーを利用すると行き1300円くらいです。
本文中にも書きましたが、車で行けるのは8合目まで。
残りは自分の足で登る必要があるので、それなりの体力と用意が必要です。
僕は12,3分で登ってしまいましたが、普通は20分程度かかるそうです。
本丸への入城料300円。

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