今帰仁城ハンタ道へ突入

【今帰仁城】は本部半島北部にある有名な城。
【美ら海水族館】と同じバス路線です。
8:30【名護バスターミナル】を出発。
9:15【今帰仁城(なきじんじょう)入口】バス停に到着。
バスを下りるとき、運転手さんが
『お城いくんでしょ?上り口はこの先すぐだからね~』
と教えてくれました。親切だな。中城城のときも教えて欲しかったよ…。


さて、言われた方向に歩くと。
【今帰仁城方面】
とかかれた看板があり…矢印が2方向に。

  ↑ 城跡入口(1km)
  ← チャレンジコース(1km)

…迷わず左折しました(笑)
~~
『チャレンジコース』は昔の登城道(山道)を辿っていくルートのようです。
『険しい道です』とは書いてありますが、案内図によるとこちらを通らないと見られない遺構がいくつかあるようです。
というわけで突入!
…といっても、最初の数百mはゆるい上り坂。
周囲も普通に民家が建ち並んでいるだけです。
で…
今帰仁城・親川
立て札によると、ここが【親川(エーガー)】?
(写真の道の奧、柵の向こうに小川があります)
どうやら、右手に分岐している細い道が今帰仁城へと続いているようです。
ではそちらへ。
最初は『散策道にしてはちょっと足場が悪い?』という程度だったのですが、間もなく、
今帰仁城・ハンタ道.jpg
ハンタ道(山道)に突入。
写真だと判りにくいのですがかなりの傾斜です。
朝から汗だく。つーか毎日これだなぁ。
今帰仁城・ミームングスク.jpg
登り始めて10分ほどで最初の遺構【ミームングスク】に到着。
最下段が18×19mのほぼ正方形、3段に積み上げられた石積です。
今帰仁城・ミームングスクイラスト.jpg
近くの説明プレートに描かれていた、かつての姿のイラストと合わせてご覧下さい。
この先は崖なので、上に登ってみると
今帰仁城・ミームングスクの上から.jpg
なかなかの眺め。はるか下には志慶真川。
…いや正直に言うとちょっとコワイです。
高いから、という以上に、足下が不安定!
よくまぁこんなグラグラの石積が長期間保存できているなぁ、というくらい。
今帰仁城の周辺にある遺構の中では最大規模。
場所からして出城・見張り櫓の類ではないかと思われますが、詳しいことはよく判っていないようです。
今帰仁城・供のかねノロ殿内火の神の祠.jpg
さらに数分歩いて、登山道の途中からくさむらをかきわけて入っていったところにぽつんと【供のかねノロ殿内火の神の祠(とものかねのろどぅんちひのかんのほこら)】。
説明プレートによると…
【ノロ】というのは神職の1つ。
【供のかねノロ】とは【今帰仁ノロ】の供、補佐?をした役職のようです。地元では別名【トゥムヌハーニ】とも呼ばれています。
この建物が何なのかハッキリとは判っていないようですが、供のかねノロの屋敷だったと考えられています。
~~
さらに歩いて…バス停から25分。
道程は1kmですから、山道であることを考えてもそろそろゴールに到着していいはず。
ここまで非常に静か。
このチャレンジコースを上っている/下りてくる人は一人もいません。
途中の分かれ道?もカンで適当に登ってきてしまったので、そろそろ迷ったのではないかと不安になってきましたが…
今帰仁城・阿応理屋恵ノロ殿内火の神の祠
どうもこれがチャレンジコース最後の遺構である【阿応理屋恵ノロ殿内火の神の祠(あおりやえのろどぅんちひぬかんのほこら)】のようです。これも道とも言えないようなくさむらを掻き分けて入ったところにありました。
【阿応理屋恵ノロ】は聞得大君(きこえおおきみ)を頂点とした神職の中で三十三君と呼ばれるノロの1人。
…ええと、つまり、【今帰仁ノロ】や【供のかねノロ】は支店長・副支店長で、【阿応理屋恵ノロ】は本社から来たその地区の統括部長、みたいな感じ?
~~
…とにかく、祠がここにあったってことは道は間違えていないんだよなぁ。まだ今帰仁城本体にはたどり着かないのかなぁ。
と思ったら。
緩やかな上り坂の数十m先の草の影を車が横切り、続いてあきらかに軽装な家族連れが見えました。
そこまで行ってみると…
目の前に駐車場と建ち並ぶ売店が…。
そして、駐車場の先には大きな石垣。
今帰仁城・世界遺産碑.jpg
ようやく今帰仁城に到着!

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